あの日から5年の月日が経ちました

あの日から5年の月日が経ちました。

私は岡山へ帰る新幹線の中で、熱海付近のトンネル内で激しい揺れを感じました。新幹線は緊急停車し、3時間あまりトンネル内で停まったまま。その後10時間かかってようやく岡山駅に着き、初めてテレビの映像を見ました。背筋が凍り、しばらく震えが止まりませんでした。

続いて起きた福島第一原発事故。再び背筋が凍りました。当時政権与党の一員でありながら、何もできない自分に腹が立ちました。せめてこの教訓を活かし、「2030年代原発ゼロ」くらい決められないか、総理・官房長官・経済産業大臣・環境大臣に必至に説得を試みましたが、実現できませんでした。

しかし、ここで諦めるわけにはいきません。私が政治家を続ける限り、否、政治家を辞めても、生きている限り、「原発ゼロ」が実現するまで諦めません。

本日、国立劇場で行われた政府主催の追悼式に参列してまいりました。

今年も遺族代表の追悼の言葉に涙が止まりませんでした。一方で安倍総理の式辞は、心が籠らない空しさを感じました。総理は自信満々にこう言い切りました。

「復興は確実に前進している」

本当にそうでしょうか?

未だ17万人超が避難生活を余儀なくされている。特に福島県民の4万人以上が県外での避難生活を余儀なくされている。それなのに、住宅支援は来年3月で打ち切ると言う。

完成した災害公営住宅は計画の半分以下。2年という約束だったはずの仮設住宅は、はや5年が過ぎようとしています。 更にあと3年間も仮設住宅での暮しを余儀なくされる方もいるそうです。プレハブの仮設住宅はすきま風で寒い。隣の部屋の声もよく聞こえるそうです。

天皇陛下の追悼のお言葉

「地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。」

この言葉こそ、総理が真っ先に言わなければならない言葉ではないでしょうか。

被災者に寄り添う気持ちのない人に、復興政策を任せるわけにはいきません。