母に感謝

12月16日は母の75回目の誕生日だった。

これまでも母の誕生日に何度かブログで感謝の気持ちを書いてきたが、今年は特に書かなければならない。

私には1歳半下の弟がいるせいか、小さい頃はとにかく手がかからない子どもだったそうだ。その反動か、大人になってからの私は、とにかく親に迷惑をかけてばかりだ(母がよくそう言っている)。

私が34歳で政治家になるため総務省を辞めた時は事後報告だった。母は猛反対だったようで、辞めたと知った時、泣き崩れたらしい。

私が岡山で衆議院選挙の候補者となった時、このままでは勝てないと案じた後輩が、私が知らないうちに東京に住む母を訪ね、「お母さんが来なければ選挙で勝てません」と直談判。母は父を一人東京に置いて岡山へ来てくれた。

岡山では、真夏の炎天下の中、来る日も来る日も一人ポスターを抱えて一軒一軒訪問してくれた。未だに岡山では私よりも母のファンが多い。

ところが、昨年4月に私が不祥事を起こしてからは、母は人に会うのが恥ずかしくなり、家に引き籠ってしまった。

そんな母に、再び私がれいわ新選組から滋賀3区で挑戦することを告げると、「絶対に手伝わないからね」と言っていた母は、再び父を置いて、滋賀に来て選挙を手伝ってくれた。

今回も、滋賀ボランティアチームの皆さんとすっかり仲良くなり、わずか2週間で「私はあなたよりもお母さんを応援してるのよ」という人が多数になった。

52歳にもなって、75歳の母にこれほどおんぶに抱っこになるとは本当に情けないし、感謝の言葉もない。

誰にでも好かれる母のおかげで、私の人生どれだけ助けられたかわからない。

せめてこれからは、母が余生を安心して暮らせるように、そして「崇志が我が子で良かった」と思ってもらえるように精一杯生きていきたい。