れいわ新選組からの出馬を決意した理由
一言で言えば「山本太郎代表を総理大臣にしたい」からです。
山本太郎さんとの出会いは2年前の夏、消費税を廃止した国マレーシアへの視察でした。それまでの山本太郎さんのイメージは、多くの国民や国会議員が抱いているのと同じように、「突拍子もない行動を取る変わった政治家」というものでした。
しかし、3日間行動を共にして、極めて真摯な姿勢で学び続け、25年以上続くデフレにより全く成長していない日本経済を憂い、「積極財政」や「消費税減税」の必要性を熱く語る姿に、一瞬で「この人を総理にしたい」と思うようになりました。
その後も、当時所属していた立憲民主党内で、「積極財政」や「消費税減税」に賛同する仲間たちと、山本太郎さんを講師に迎えて勉強会を開くなど交流を深めてきました。
そんな折、昨年4月、私は大きな過ちを犯してしまい、立憲民主党を除籍処分となりました。失意のどん底にある時、真っ先に声をかけてくれたのは山本太郎さんでした。
「やり直しができない人生なんてない。どんな失敗をしてもやり直しできる日本を一緒に創りましょう」
その言葉を聞いた時、「人生でこれほど泣いたことはない」というほど泣きました。
その時から「れいわ新選組に入りたい」という想いはありましたが、自分が入ることでれいわ新選組に迷惑をかけてしまうのではないかとの思いが強く、言い出すことができませんでした。
その後、昨年11月に国民民主党の玉木代表から「会派に入らないか?」とお誘いを頂きました。その際、私は正直に山本太郎さんへの想いをお話しましたが、玉木代表は山本太郎さんのことを高く評価しており、私と山本太郎さんとの関係を承知の上で会派に入れてくれました。
国民民主党会派では、政調副会長を拝命し、多くの議員立法の策定に関わらせて頂きました。また、所属する厚生労働委員会や法務委員会の他、予算委員会や内閣委員会、総務委員会等で多数の質疑の機会を頂き、気がつけば計76回も質疑に立ち、総質疑時間は全衆議院議員の中でトップとなりました。国民民主党の会派に入れて頂かなければ、このように活躍するチャンスはなかったので、国民民主党には一生忘れられない恩義を感じています。
今回、国民民主党からの出馬も検討し、玉木代表や榛葉幹事長とも相談を重ねて参りましたが、最終的に「れいわ新選組」からの出馬を決めました。何より嬉しかったのは、れいわ新選組からの出馬となっても、多くの国民民主党の議員から「頑張れよ!必ず国会に戻って来い!!」と激励を頂いたことです。
25年間デフレが続き、経済が全く成長せず、格差だけが拡がってしまった今の日本に必要なのは、「積極財政」と「消費税減税」です。「消費税減税」に後ろ向きだった立憲民主党枝野代表が方針転換したのは、山本太郎代表の功績が大きいです。「積極財政」は国民民主党玉木代表も訴えていますが、本家本元は「れいわ新選組山本太郎」であり、山本太郎代表の壮大なビジョンを実現するために一緒に闘う決意をいたしました。
私は様々な事情により、いろいろな党を経験してきましたが、17年前に政治を志した時から一貫して変わらないのは、日本を「政権交代可能な国」にしたいという思いです。官僚として自民党政権をそばで見てきて、「長すぎる権力は必ず腐敗する」という現実を目の当たりにしてきました。
今の野党のままで政権を託したいと思う人がどれだけいるでしょうか。野党が再び「政権の選択肢」となるためには、山本太郎代表の強烈なリーダーシップが必要です。私がかつて所属していた立憲民主党の中にも「隠れ太郎ファン」がかなりいます。
そして、敢えて申し上げれば、「政権の選択肢」となる野党のリーダーは、れいわ新選組の山本太郎代表と国民民主党の玉木雄一郎代表です。私は二人には手を結んで欲しい。細かな政策の違いはあれども、大きな方向性は一致しています。何より、国民は新しいリーダーを望んでいます。その先頭に立てるのはこの二人しかいません。
この二人のリーダーを支え、再び国民が政権を選択することができる国にするためには、何としても国会に戻らなければならない。そのためには、何としてもこの選挙勝ち抜かなければなりません。
必ず勝って「山本太郎総理大臣」を誕生させます!
※写真は2年前のマレーシア視察時のものです。山本太郎代表の目つきが違います。