私が原告となっている「憲法53条違憲国家賠償請求訴訟」の第2回口頭弁論が岡山地裁で行われ、私も原告として、意見陳述を行いました。
私が原告となっている「憲法53条違憲国家賠償請求訴訟」の第2回口頭弁論が岡山地裁で行われ、私も原告として、意見陳述を行いました。
国会議員が法廷で意見陳述するのは「おそらく例がない」とのこと。
そもそも、国会議員が違憲訴訟を起こしたのは、昭和35年に衆議院解散の無効を争った苫米地事件以来ということで、本日も全国から記者さんが取材に来られました。
国(法務省)は、今回の訴訟に対して、「憲法53条は内閣に法的義務を課したものではなく(=政治的義務のみ)、そもそも国会召集は内閣の高度の政治判断であり司法審査の対象とならない(=統治行為論)」という反論をしています。
しかし、憲法53条は、「議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならない」と明確に法的義務を定めており、国が主張するように、内閣の政治判断が入り込む余地はありません。
私の意見陳述では、国会議員の責務を果たせなかった被害について申し上げるとともに、それ以上に強調したのは、「私が受けた被害うんぬんではなく、純粋に内閣が行った行為が憲法53条に違反しているか審査して欲しい。こんなことが許されれば、国会の権能は内閣によって封じられ、3権分立は成り立たず、民主主義は崩壊し、独裁国家すら生まれかねない。」という点です。
最高裁は、「具体的事件がなければ違憲の判断をしない」という付随的違憲審査説を採用していますが、これでは憲法違反を争うことが極めて難しくなります。(私のように「精神的被害を被った」というような理屈をひねり出さなければならなくなります。)
今回の訴訟をきっかけとして、抽象的違憲審査説(具体的事件がなくても違憲を審査できるとする説)を採用するか、さもなければ、憲法裁判所を設置することも含めて(憲法改正が必要になりますが)、議論が巻き起こることを期待しており、その旨記者会見でも申し上げました。
次回、公判は12月18日と決まりました。
岡山の他、沖縄県の5人の国会議員(知事選を闘っている玉城デニー前衆議院議員もその一人です)と千葉県の小西洋之参議院議員が提訴してくれています。全国にこの輪が広がり、いろいろな地方裁判所から違憲判決が出ることを期待しています。
※ 以下長文となりますが、私の意見陳述の全文です。
私からは、私が被った被害について述べたいと思います。
私を含め、個々の国会議員は、憲法43条に規定するとおり「全国民の代表」であり、憲法前文にあるとおり「国民から厳粛な信託」を受け、国会法等に規定するとおり、国会における議案の発議、質問、質疑、討論、表決などを権能及び責務としています。そして、こららの権能を全うするために、憲法53条に基づき、個々の国会議員に国会召集要求権が認められていますが、平成29年6月22 日に召集を要求したにも関わらず、同年9月28日まで召集されなかったことにより、98日間もの長期にわたり、これらの権能や責務が果たせませんでした。
加えて、同年9月28日における安倍内閣による臨時国会の会期冒頭の衆議院解散の結果、私を含む衆議院議員は国会議員たる地位を喪失しました。さらに会期不継続の原則や、衆議院議員選挙後の特別国会において内閣は総辞職するため、同年6月22日に要求した当該国会を召集する機会を永久に喪失するとともに、当該国会において安倍内閣に対して質問し、討論するなどの議員の諸権能を行使する機会も永久に喪失しました。
有権者からも、「なぜこの大事な時に国会で議論してくれないのか」と厳しく批判を受けました。
このように原告を含む臨時国会召集要求を行った衆参両議院の国会議員は、主権者たる国民から、「全国民の代表」として「厳粛な信託を受け」、当時国民の中で大きな疑念となっていた森友学園、加計学園の問題、文部科学省の天下り問題、南スーダン日報問題などについて追及することなどの責任を一切全うできず、精神的に多大な苦痛を受けると同時に、国民からの政治的及び社会的信頼を失いました。
以上が、私が受けた被害に対する意見ですが、私以外の国会議員も全国で続々と訴訟を行い、又は準備をしています。本来であれば、私が受けた被害うんぬんではなく、純粋に内閣が行った行為が憲法53条に違反しているか否かを審査していただきたいと思います。
今回のように内閣の裁量によって国会召集の期間を自由に決められるのであれば、事実上臨時国会を開かないことが可能となり、憲法53条の規定は全く意味がなくなります。国会の大きな役割は、法律をつくることと、行政を監視することです。この役割を、事実上内閣によって封じられることになれば、3権分立は成り立たず、民主主義は崩壊します。憲法53条が守られなくなれば、独裁国家すら生まれかねません。3権分立の1翼を担い、「憲法の番人」たる裁判所におかれては、その点を十分斟酌していただき、公正妥当な判決を望みます。
以上で私の意見陳述を終わります。発言の機会を頂き、ありがとうございました。