西日本豪雨災害から3年…未だ道半ば
西日本豪雨災害から3年が経ちました。
岡山県だけで89名、西日本全体で296名の死者が出た大災害(死者数は東日本大震災、阪神淡路大震災に次いで3番目に多い)でした。
復旧作業や避難生活は真夏の酷暑と重なり、暑さによる災害関連死が3割にものぼりました。
あの猛暑の中で全国から毎日千人を超えるボランティアが集まり、泥かきやがれき撤去を手伝ってくれたあの光景は一生忘れることはないでしょう。
岡山県内各地の避難所をまわり、要望をお聞きし、毎晩開かれるボランティア会議で報告し、県知事や市町村長に伝え、上京して各省庁幹部や菅官房長官にも直訴しました。私の政治家人生の中で最も緊張感を持って過ごした2ヵ月間だったと思います。
真備町の避難所(岡田小学校)で出会った「避難所・避難生活学会」榛沢和彦代表(新潟大学教授)から言われた
「日本では災害が起こるたびに同じことが繰り返されている。それは被災を経験した政治家がその教訓を活かしていないからだ」
という言葉が今でも耳から離れません。
その年の冬、榛沢代表とともに災害先進国イタリアに視察に行き、そこで学んだ先進的な取組みを国会(衆議院本会議や災害対策特別委員会等)で提案し続けてきました。
イタリアは日本の人口の約半分ですが、防災・減災対策を専門的に担う「市民保護省」に700名の職員が働いています。人口が約2倍の日本では「内閣府の一部局」に各省庁からの出向者が100名程度働くのみです。日本でも専門組織である「防災省」を創設すべきです。
政府とボランティア団体との連携も不十分です。イタリアの市民保護省には50を超えるボランティア団体が各団体1部屋ずつ与えられ常駐しており、いざ災害が発生した際には例え真夜中でも30分以内に災害対策会議を開くことが法律で義務づけられています。
この3年間、国会で質問に立つ度に「イタリアの防災・減災対策を見習うべき」と提案してきましたが、未だ実現していません。
3年前のあの経験、とりわけ榛沢代表からの重い言葉を噛みしめながら、引き続き「防災・減災対策」を自らのライフワークとして取り組んで参ります。