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日記の更新は管理人の都合により遅れることがあります。速報版は掲示板に書き込まれますので、そちらをご覧下さい。 |
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2005年5月31日(火) 『菅源太郎さん、マスコミを論破!!』
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今週は、月曜日恒例の「おはよう730」が都合により本日(火曜日)へ。
 本日から、私も正式に「おはよう730」デビューです。チラシを配ってくれるスタッフの皆さんのためにも、一生懸命演説し、一人でも多くの人に政権交代の必要性を訴えていきます。本日は、冒頭の7:30〜7:45と8:10〜8:20までの約25分間、先日の出馬会見での話を中心にお話いたしました。これからは「おはよう730」以外にも、いろいろな場所で街頭に立ちたいと思います。見かけたら声をかけてやって下さい。
午後からは、県庁の挨拶回りをしました。県庁勤務時代によく一緒に飲みに行った方々が、すっかり偉くなっており、月日の流れの早さを感じるとともに、心強く感じました。霞ヶ関を変えることにより、県庁の責任はますます大きくなります。ぜひ権限委譲のしっかりとした受け皿となってほしいと思います。
夕方からは、森本てつまさん、連合の岩崎副事務局長さんと江田事務所の伊原万亀夫さんと4人で晩御飯を食べながら打合せ。今後の私の選挙体制について、皆さん親身になって相談に乗ってくれました。
午後9時過ぎに中座し、JRで倉敷へ。
倉敷駅前の居酒屋で、民主党若手と倉敷市政記者クラブの皆さんとの懇談会が行われておりました。民主党からは、菅源太郎さん(衆議院1区予定候補)、柚木みちよしさん(衆議院4区予定候補)、花咲ひろきさん(衆議院5区予定候補)の3人と、他に江田事務所の小林秘書、藤原秘書、菅事務所の吉川秘書、柚木事務所の服部秘書と県連の大塚さんと私を含めて計9名が参加。記者クラブからも8名の記者さんが参加されており、私が到着した時には既に大変な盛り上がりでした。記者さんからは、民主党に対する厳しい注文も相次ぎましたが、皆さんからの民主党に対する熱い期待を感じました。私からは、「マスコミの皆さんが特定の政党に
偏ることは良くないが、権力を批判することはマスコミに課せられた最大の使命です。その点において、今の民主党とマスコミは共通した目的を持っています。これからもお互い切磋琢磨していきましょう。」とお話しました。前回に引き続き(1月12日「たたかい日記」参照)、菅源太郎さんの熱弁が冴え渡り、マスコミの皆さんを次々と論破していきました。マスコミの皆さんもグーの音も出なかったのではないでしょうか。
2次会が終わったのは午前1時半。岡山在住の4人はタクシーで帰りました。長い長い一日が終わりました。 |
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2005年5月30日(月) 『微妙に感じる距離感』
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午前9時30分から行われた「桃太郎アリーナ落成式」に江田五月さんの代理で出席いたしました。
先週、公認内定が出て以来、民主党関係者への挨拶回りに追われ、石井知事や萩原市長、県議会議員等の方々にまだご挨拶ができていませんでしたので、この機会にご挨拶をいたしました。正式に候補者となって、民主党以外の皆さんからは、微妙に距離を置かれているような気がいたしました。自民党で権力を握る片山虎之助さんを相手にするとはどういうことか、わかっているつもりですが、これからまだまだ壁が出てくると思います。もちろん覚悟の上の決断です。勇気を持って、乗り越えていきたいと思います。
式典終了後、この4月に県庁を定年退職され、桃太郎アリーナを管理する岡山県総合グラウンド事務所長に就任された新免國夫さんにご挨拶いたしました。新免さんは、県庁で3年間私の直属の上司だった方です。退職後も岡山県の高度情報化顧問を兼任されているとのこと。ますますご活躍で、情報先進県おかやまを引っ張っておられます。
昼前に、県庁時代に知り合った若手ITベンチャー起業家とお会いしました。お父様も経営者で、お父様は自民党支持者だそうですが、彼は民主党を応援していただけるそうです。うれしいと同時に責任を感じます。
午後は、これから街頭宣伝活動をするにあたっての「のぼり」「看板」「スタッフジャンパー」等を発注するための打合せ。最近知り合った、同い年の若手起業家が経営する広告代理店にお願いするつもりです。彼のような元気の良い若手経営者が岡山で成功することが、私の願いであり政策目標でもあります。できることなら、こういう若手経営者の方々に民主党を支持してもらえるような、そういう政党を目指していきたいと思っています。
夕方からはデスクワーク。途中、菅源太郎さんが江田事務所のすぐ近くに引っ越してこられるというので、その搬入のお手伝い。これで衆議院1区との連携はより深まりそうです。
今宵も夜が更けるまでデスクワーク。公認内定が決まって、たくさんいただいているメールや掲示板の書き込みに返信ができておりません。この場を借りて深くお詫び申し上げます。 |
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2005年5月29日(日) 『初めての来賓挨拶』
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午前中はデスクワーク。
午後2時、民主党岡山県第4区総支部の定期大会に出席いたしました。今日ははじめて来賓として呼ばれました。まだ、民主党岡山県連での正式な役職にはついておりませんが、党本部からの公認内定が出たということで、「次期参議院選挙に挑戦する高井崇志」として紹介され、挨拶もさせていただきました。
挨拶では、
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自分の選挙区は広いため、1から5区総支部の皆様のご支援なくしては闘えないこと。 |
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中でも、4区は党本部からも最重点選挙区に指定され、勝てる可能性の高い、また絶対に勝たなければならない選挙区であること。 |
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自分の選挙よりも、まず柚木みちよしさんの選挙(衆議院選挙)を優先し、必勝を期すために全力で応援すること。 |
をお話いたしました。
来賓挨拶を終えたところで、江田五月さんとともに中座。倉敷駅からJRに乗り、岡山駅西口のままかりフォーラムで行われている「岡山県郵便局ファンの集い」に参加いたしました。郵便局職員の皆さんによる出店があり、うどん一杯と焼きそば二杯食べました。こういう仕事をしていると、やせるのは無理かも・・・とちょっと思いました。小泉内閣に退陣を迫る江田五月さんの挨拶は、いつにも増して気迫がこもっており、郵便局職員の方々の心を鼓舞したと思います。挨拶終了後、舞台裏で本物の「マジレンジャー」と記念撮影。(写真は江田五月さんの日記を参照下さい。)
その後、再びJRにて倉敷へ。4区の定期大会集合後に、「男女共同参画社会を考えるシンポジウム」が行われており、遅れて参加しました。民主党参議院議員のツルネンマルテイさんの講演は終わっておりましたが、シンポジウムを聞くことができました。ツルネンさんは、私と同じく2年後が選挙です。ツルネンさんは全国区なので、私とツルネンさんの両方の名前を書いてもらうことができます。お互い健闘を誓い合いました。
終了後の懇親会にも参加。柚木みちよしさんを支援する方々と懇親を深めることができました。お昼に続いて挨拶の機会を頂いたので、再度、「4区は絶対勝たなければならない選挙区であり、私も全力で応援する」旨をお約束いたしました。
岡山に戻ったのは午後10時。江田事務所に戻り、デスクワークの続きです。一人暮らしの私は、家に帰っても寝るだけです。毎晩、1時2時まで事務所でパソコンとにらめっこです。霞ヶ関時代も同じようなものでしたが、今は充実感がぜんぜん違います。「何のために働いているのか」それが今ははっきりしているからです。どんなにしんどくても、幸せな毎日です。 |
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2005年5月28日(土) 『アゼリア会 慰労会』
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午前中はデスクワーク。昨日に続き、党本部へ提出する書類作りと参議院第二総支部立ち上げに関する準備です。公認候補者に内定した者は、民主党の支部を立ち上げなければなりません。そこで代表に選ばれて、はじめて候補者として正式に認められます。衆議院の各候補者もみな各総支部の代表と、民主党岡山県連副代表を務めています。
午前11時30分から、アゼリア会の昼食会に参加いたしました。アゼリア会は私の前任者にあたる石田美栄前参議院議員が会長を務める、江田五月さんを応援する女性の会です。本日は40名の方々が集まりました。皆さんに公認候補者に内定したことを報告し、異例の早さで公認内定を頂いたのは江田五月さんのご尽力の賜物である旨お話し、あらためて感謝申し上げました。食事会の後は喫茶店で2次会。午後4時まで歓談が続きました。選挙は女性の力が大きい、とつくづく感じる今日この頃。皆さんに私の人となりを知っていただく絶好の機会になりました。
午後4時半に江田五月さんとともに上南さつき展へ。支持者の方が毎年主催されているさつき(花)の展覧会です。すばらしいさつきを堪能しました。
午後6時からは、江田事務所の反省会。4月から続いた地方選挙の総括を行い、その後は慰労会。これからの私の選挙は江田事務所の連携なくしては有り得ません。このような機会にしっかりと江田事務所メンバーとの懇親を深め、結束を誓ういい機会になりました。 |
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2005年5月27日(金) 『ジャンプする前に』
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午前9時、連合岡山へご挨拶に伺いました。森本会長は不在でしたが、二宮会長代行、熊代事務局長、岩崎副事務局長さんにご挨拶。今後の活動について、いろいろとアドバイスを頂きました。
午前10時、岡山県建設労働組合の定期大会に江田五月参議院議員の代理で出席。代理出席の私の出番は、名前の紹介だけだろうと思っていたら、真っ先に来賓挨拶をさせていただきました。突然のことにとまどいながらも、昨日記者会見で2年後の参議院選挙の出馬表明を行ったことを報告し、「江田五月ともども今後もよろしくお願いします」と今後のご支援をお願いしました。
午後からはデスクワーク。公認候補に内定したことに伴う様々な手続きがあり、その準備です。民主党は、我々のような地盤・看板・カバンを持たない者であっても、志さえあれば政治家を目指すことができる政党です。そのために、候補者として内定すると月50万円の活動費を政党交付金として支給されます。政党交付金は国民の皆さんからの税金ですから、頂くからにはしっかりと政治活動をしなければならないのはもちろんのこと、きちんとした手続きも必要となります。今すぐにも街頭に飛び出し、活動を始めたいというはやる気持ちを押さえ、まずは諸準備を進めなければなりません。大きくジャンプするためには、できるだけ深く長く沈みこむことが必要です。今はジャンプする前の期間であり、あせらずたゆまず着実に準備を進めたいと思います。 |
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2005年5月26日(木) 『記者会見』
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本日、午後3時から、県庁記者クラブにて、草苅幹事長、森本幹事長代行同席の
もと記者会見を行いました。20名以上の記者さんにお集りいただき、テレビカメラも3台(NHK、OHK、KSB)入りました。ついに走り出したんだなあ・・・と実感いたします。
以下、記者会見で私からお話した内容の要旨(正確ではありません)を掲載いたします。
【記者会見要旨】
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私は、この度、民主党の次期参議院選挙候補者の公認内定をいただきました、高井崇志と申します。
まずは簡単に自己紹介させていただきます。1969年に北海道函館に生まれましたが、3歳の時に父の転勤に伴い東京へ。その後、新潟県や群馬県、北海道を転々とし、1989年に東京大学に入学。卒業後は、郵政省(現総務省)へ入省いたしました。(中略)2001年に岡山県庁で情報政策課長を3年間勤め、2004年4月に総務省へ戻りましたが、その9ヵ月後の2004年12月に総務省を退職。本年1月から参議院議員江田五月の秘書を勤めております。
私が公務員を辞め、政治の道を志したのは、霞ヶ関の行政に失望したからです。この国のために働きたいと理想に燃えて、国家公務員の道を選びましたが、現実は大きく違いました。本来、「国民が何を望んでいるのか」を第一に考えなければならないはずの官僚たちが最も大事にしているものは、「自分たちの省益」です。「省益」を守ってくれる自民党政治家や特定業界の顔色ばかりを伺い、国民の方など見向きもしません。皆、入ってきたばかりの頃は、同じように理想に燃えて国家公務員の道を目指すのですが、我々若手が一生懸命国民のためを思い政策を作っても、上にゆけばゆくほど捻じ曲げられてしまいます。そのうちに皆失望感に覆われ、本来の志を失っていくのです。もちろん、個々の官僚の中には志の高い方もたくさんいます。しかし、組織全体で見れば、霞ヶ関の行政が国民のために本当に十分機能しているとはとても思えません。
現在、わが国が背負っている借金は770兆円です。国民一人当たり600万円以上の計算です。このような途方もない借金を背負っても、官僚たちは毎年40兆円の借金を続けています。官僚たちは自分たちでは動けない「がんじがらめの蜘蛛の巣」の中にいるのです。既に国家存亡の危機を迎えている、一刻の猶予もならないと思った私は、霞ヶ関の中から変えることをあきらめ、外から(政治から)変える決意をいたしました。
私が政治を志すに至ったもう一つの大きな転機は、岡山県庁で働いたことです。県庁時代は、霞ヶ関よりもはるかにやりがいを感じながら仕事をすることができました。しかし、地方が考えた政策はことごとく霞ヶ関に否定されました。構造改革特区など聞こえはいいですが、我々が出した提案はけんもほろろに否定されました。「事前に相談がない」と総務省から怒鳴られ、文部科学省からは「事実誤認」と相手にもされませんでした。地域に密着した行政課題など、霞ヶ関の机の上で座っているだけの官僚たちにはわかるはずがありません。国が地方行政に対し「箸の上げ下ろし」まで指図する今の中央集権体制を改めない限り、この国の無駄遣いは止まらないし、いいアイデアも潰されてしまう、そう確信するにいたりました。私は、政策の一番に、地方行政に税財源を移譲し、地域のことは地域で決める「地域主権の確立」を据えたいと考えています。
そのほかの政策については、別紙(ホームページのコピーを配布)のとおりですのでご覧下さい。
「なぜ民主党なのか」については、これまでの説明でご理解いただけると思います。自民党では決して霞ヶ関を変えることはできません。なぜならば、彼らは変えるメリットが何も無いからです。今の霞ヶ関の構造の中で、自分の利権を確保している。官僚の権益を守る代わりに、自らの選挙に有利なように利益を地元に誘導する。そうした癒着構造が出来上がっています。霞ヶ関が国民の方を見ずに省益を第一に考えるおかしな組織であればあるほど、自民党にとっては好都合なのです。霞ヶ関の無駄遣いが自分たちの「飯のたね」なのです。ですから自民党政権の下では、霞ヶ関は絶対に変わりません。霞ヶ関が変わらなければ、この国は何も変わりません。政権交代でしか、この国を変えることはできないのです。
民主党にも至らぬ点は多々あります。しかし、今、政権交代できる政党は民主党しかないのです。他に選択肢はありません。私は民主党に入り、これから民主党を政権が担える政党にしていきたいと思っています。今、民主党には我々と同じ官僚出身者が続々と集まっています。ここ最近、旧郵政省だけで4人が辞め、民主党に入りました。4人以外にも相談に来ている人が何人かいます。これからもまだまだ増えると思います。官僚が全て優秀なわけではありませんが、辞めた人あるいは辞めようとしている人達は、皆、志の高い逸材ばかりです。皆、将来の総務省を背負って立ったであろう人達ばかりです。ぜひとも民主党の将来に期待してほしいと思います。
「なぜ岡山を選んだのか」についてですが、私がこれまで住んだ街の中で、岡山が一番好きだからです。私のように「ふるさと」がない人間は、どこから選挙に出ても「落下傘」と言われてしまいます。せめて、一番好きな街をこれからの「ふるさと」にしたいと思い岡山を選びました。正直に申し上げると、民主党本部からは、私が小中学校を過ごした新潟や群馬からの出馬を勧められました。岡山は既に衆議院は候補者が揃っており、また参議院も勝てるはずが無いとの理由でした。しかし、私は目先の選挙の勝算だけで、これから一生住む「ふるさと」を決めたくはありませんでした。岡山は風光明媚で食べ物もおいしく、水と緑にあふれた暮らしやすい街です。しかし、一番岡山の好きなところは「人」です。3年間岡山に住み、得た友人は、これまでの35年間の人生の中で最高の友人たちでした。私はこの友人たちと離れたくない。岡山で生活してゆく限り、私はどんな結果になろうとも幸せになれると確信いたしました。これ
が、私が岡山を選んだ理由です。
最後に、私が対決することになる片山虎之助さんについて一言。片山総務大臣の時に私は岡山勤務を命じられました。転勤の挨拶に伺った際に、「地元岡山のために優秀な君を選んだのだ」とお世辞かもしれませんがおっしゃっていただきました。この大好きな街岡山との出会いを与えてくれた片山さんには大変感謝しております。また、2年の約束だった岡山勤務を3年に延ばしてくれたのも片山さんです。その意味では恩人でもあります。また、大学・総務省・岡山県庁の先輩でもあり、上司でもあった人です。しかし、この国のためには、政権交代は絶対に必要であり、そのためには必ず超えなければならない方です。片山さんを乗り越えずして政権交代などできるはずがない、私はそういう想いで決断いたしました。大変な強敵であります。しかし、世の中に絶対不可能なことはありません。人の何十倍何百倍の努力をすれば、必ず勝てると思います。「動けば変わる。すべてはやるかやらないか。」私の好きな言葉ですが、まさにそういう心境であります。以上で私からの会見を終わります。今後ともよろしくお願いします。 |
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2005年5月25日(水)
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本日は衆議院議員さんへの挨拶回りを続けました。衆議院議員会館は、第一と第二がありますが、それぞれ2時間ずつかかりました。
議員会館内の各事務所を訪ね、最初に秘書さんに公認内定のご挨拶を行うと、多くの秘書さんが「ああ、あなたがあの高井さん」とおっしゃって下さいます。公認内定前から名前が知られているなんて、ありがたいことです。これも今をときめく片山虎之助さんと闘うからだと思います。強敵であればあるほど、ますますファイトが沸いてきます。議員さん本人が部屋にいらっしゃるときは、たいてい部屋へ通していただきました。皆さんから大変力強く激励していただきました。20分ほど時間をとっていただいて、早くも選挙戦術を指南して下さった議員さんもいらっしゃいました。選挙の応援を約束してくださる方や、私の勇気を称えてくださる方など、本当にありがたい思いでいっぱいの4時間でした。
その中でも一番嬉しかったのが、「石田日記」で有名な石田敏高さん(津川祥吾代議士秘書)が「あの有名な高井さん」と私のことを知っていたことです。「何で有名なんですか?」と聞き返すと、「ホームページの評判がいいよ。この間も『選挙でGO』のスタッフがほめてたよ。」とおっしゃっていただきました。誠に恐縮至極であります。まだ候補者にもなっていない段階で、ホームページを多くの方に見ていただいていることは本当にありがたいことです。これからもレベルアップできるよう頑張って書きます。
午後5時過ぎにようやく全ての議員さんを回り終えました。その後、民主党本部のスタッフの皆さんにご挨拶し、午後6時半の新幹線で岡山へ帰りました。岡山では総務省の同期が立ち寄ってくれており、午後10時過ぎから一杯飲みながら、激励してもらいました。彼は5年前に総務省を辞め、今は独立して働いています。その知識や見識の深さは目を見張るものがあり、私の尊敬する親友の一人です。これからは彼の力もぜひ借りたいものです。よろしくお願いします。 |
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2005年5月24日(火)
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本日、東京の民主党本部で行われた常任幹事会で、私が、「次期参議院選挙・岡山選挙区の公認候補者」として内定を頂きました。
これにより、2年後の参議院選挙を目指すことになりました。相手は、最近マスコミに登場しない日は無いほど活躍されている片山虎之助自由民主党参議院幹事長です。
私は、片山虎之助総務大臣から辞令を受け、岡山県庁へ出向いたしました。ですから、この大好きな街岡山との出会いを導いてくれたのは片山さんです。また本来2年の約束であったのを3年に延ばしてくれたのも片山さんです。その意味では恩人であります。また、大学・総務省・岡山県庁の先輩でもあります。しかし、わが国の将来にとって、政権交代は絶対に必要なのです。そして政権交代のためには、片山さんはどうしても乗り越えなければならない人なのです。敢えて私は、多くの人が「勝てるはずが無い」「かつての主君に矢を射るのか」と言われるこの選挙に挑戦します。かつての上司であっても、先輩であっても勝たなければならない相手なのです。世の中に「絶対」はありません。寝食を忘れ、血のにじむ努力をすれば、必ず勝てると信じています。この2年間、死にもの狂いで頑張りますので、どうぞ温かいご声援をよろしくお願いします。
さらに詳しいコメントについては、26日(木)に記者会見を予定しておりますので、その席でお話いたします。記者会見終了後、そこでのコメントをこの日記にも掲載いたします。
今後の活動については、ポスター・チラシの作成、キャッチフレーズの決定、秘書の雇用、事務所の開設、参議院第二総支部の立ち上げ・・・膨大な作業が待っています。正直申し上げて、このように早い時期の公認内定は予想していませんでした。民主党本部は衆議院選挙の公認を優先しており、参議院選挙は前回僅差で負けた人しか当面公認しないと聞いていたからです。相手が大物ということもあったようですが、それにしても、公認内定にご尽力いただいた江田五月代表、草苅隆幸幹事長、森本てつま幹事長代行ほか岡山県連幹部の皆様には大変感謝申し上げます。
事務所は当面、江田事務所に同居させていただくつもりです。江田五月さんのお力を借りずには勝てる相手ではありません。これからも江田事務所のメンバーとは一心同体で闘ってゆきたいと思います。江田事務所の皆さん、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
午前10時30分に江田五月さんからの携帯メールにて、「公認内定」の報を聞きました。まず最初に、総務省へ公認内定のご報告に伺いました。前大臣と闘うということで、お叱りを覚悟で幹部を回ったのですが、怒る人はいませんでした。それよりも、かつての上司である幹部にご挨拶に伺ったところ、私の日記について苦言を頂きました。「俺は省益など考えて仕事してないぞ!」と怒られました。確かにこの方は省益で仕事をするような方ではありません。何度も申し上げておりますが、全ての霞ヶ関の役人が悪いわけではありません。悪いのはほんの一握りかもしれません。しかし組織として政策を遂行する段階になると、個人の高い志が失われてゆきます。今日何人かの幹部の方からお話を伺い、これほどの見識と志を兼ね備えた方が幹部で居るのに、今の行政しかできないのは、やはり政治の責任が大きいのだということをあらためて痛感いたしました。それにしても、何より嬉しかったのが、局長はじめ幹部の方が私の日記を読んでいただいていることでした。大変に光栄に存じます。
午後からは、民主党の全国会議員と岡山県選出の全国会議員の方々にご挨拶に伺いました。私が闘う片山虎之助さんには最初にご挨拶に伺いました(残念ながら、ご本人は不在でしたが・・・)。参議院議員さん85名へのご挨拶だけで、2時間半かかりました。衆議院議員さんへのご挨拶は明日にすることにいたしました。
午後6時からはホテルニューオータニで行われた民主党大躍進パーティーに参加。会場に入りきらないほどの大勢の人で埋め尽くされました。江田五月さんから民主党幹部の皆さんにご紹介いただきました。
パーティー終了後、パーティー券を買ってくれた大学時代の同期・後輩たち6人と2次会へ。さらに3次会まで盛り上がり、学生時代の思い出話に花を咲かせました。皆、それぞれ成長していて頼もしかったと同時に、私を応援してくれる熱い気持ちを強く感じました。遠く離れていても、大勢の仲間に支えられて選挙は闘うのだということをあらためて感じ、自分は幸せ者であると思いました。皆さんの熱い気持ちに応えるためにも、2年後の選挙は必ず勝ちます! |
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2005年5月23日(月)
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本日は「おはよう730」を欠席し、日ごろ大変お世話になっている堂よしゆきさん(前美作町議)のお父様が亡くなられたため、美作市で行われたご葬儀に参列してきました。NTT労働組合の現役・OBの方をはじめ、大勢の民主党関係者の方々が集まっており、堂さんの人望の厚さを感じました。
その後、事務所に戻り、今日からの上京に備えてのデスクワーク。
午後4時の新幹線で東京へ向かいました。新幹線に乗ると、総務省を辞める前に毎週末、東京・岡山を往復していた頃をふと思い出しました。新幹線ではいつも本を読むことを楽しみにしているのですが、今日はデスクワークが終わらず、それどころではありません。必死になってパソコンを叩くうちに、いつの間にか東京に着きました。新幹線内には業務用電源があるだけで、使うことができません。これ
からのIT化時代、パソコンを持ち込む乗客も多いと思います。電源をもう少し用意してもらえるとありがたいのですが。電力量が足りなくなるのでしょうか・・・。
夜9時過ぎから、岡山県庁時代の出向仲間の先輩と一杯。岡山県庁時代には毎晩飲み歩いた先輩であり、東京に戻ってからも、私の決断に対し、いろいろとアドバイスをくれた方です。久しぶりに、ゆっくりと語り合うことができました。さあ、明日からが勝負の時です! |
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2005年5月22日(日)
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本日から久々に本来の秘書業務に戻ります。考えてみると、4月に入ってから一月半、地方選挙の応援に明け暮れた毎日でした。本日の瀬戸内市議会議員選挙を最後に当面地方選挙はない予定です。
朝10時に、赤磐市(旧吉井町)の「城山公園まつり」に江田五月さんの代理で出席いたしました。旧吉井町は、4月の赤磐市長選挙で応援した荒嶋市長の地元です。選挙応援中に知り合った方も大勢来られており、和気あいあいとした2時間を過ごしました。途中、まんじゅうの早食い大会にも特別参加いたしましたが、惨敗でした。
午後は江田事務所に帰りデスクワーク。溜まったデスクワークは夜11時までかかりました。来週はいろいろな出来事が予定されており、その準備です。
夜11時に、そろそろ瀬戸内市議選の当確が出そうだということで、江田京子さんとご一緒に民主党推薦候補の木下てつおさんの事務所へ。木下さんは予想以上の得票数で堂々当選されました。今回も合併に伴う選挙ですが、どこも同じく小さな町の候補が善戦しています。小さな町は合併により埋没してしまうのではないかという危機感が町の結束を固め、多くの候補者を当選させています。地方選挙の投票率は概ね70%程度ですが、小さな町の投票率は90%近いところもあります。国政選挙でも、このように国民の皆さんが、国に対する危機感を感じてもらえれば、もっともっと投票率が上がるのですが・・・。なかなかうまくいきません。私は投票率の低下=民主党への不信任票だと思っているので、民主党はこれからまだまだ不断の努力を積み重ねていかなければなりません。「国に対する危機感」を伝えて歩くことが民主党の最大の役割だと思います。 |
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2005年5月21日(土) 『誕生日、運命の日』
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今日は瀬戸内市議会議員選挙の最終日です。
江田事務所では唯一の民主党推薦候補の応援をしてきましたが、今日はその総仕上げです。午後3時からは江田五月さんも駆けつけ、午後8時のマイク収めまでマイクを握りました。
江田事務所に入り4ヶ月半が経ちました。この間、何度も地方選挙を経験させてもらいましたが、どの選挙でも最終日はなんともいえない感動を覚えます。この1週間ウグイス嬢を務めた丸山結実さんも、目に涙を浮かべ感極まっておりました。自分のためにこれだけ大勢の人が熱くなってくれる、候補者とは本当に幸せ者だと思います。自分も幸せ者の一員に加えてもらえると思うと、その分、寝食を忘れて血のにじむ努力をしなければと思います。
マイク収めの後、津村啓介さんと合流し、一日早いのですが、江田五月さんの誕生日のお祝いをいたしました。明日5月22日は、江田五月さんのお父様江田三郎様の命日でもあります。当時、東京で裁判官をしていた江田五月さんは、突然のお父様の死がご自分の誕生日だったことに運命を感じ、政界への転出を決意されます。5月22日は、そういう特別な日なのです。(著作リスト「出発のためのメモランダム」第9章「誕生日、父の死」参照)明日、江田五月さんは64歳になられますが、これからもますますお元気で、民主党本部を、そして民主党岡山県連を引っ張っていただきたいと思います。 |
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2005年5月20日(金) 『霞ヶ関批判の真相』
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読売新聞社の調査で、「今の日本の政治で最も強い力を持っていると思う組織は?」という質問に対し、1位が「官僚」38%、2位が「アメリカ」26%、3位が「首相」23%、という結果が出ました。ちなみに、1970年に行った同様の調査では、1位は「自民党」48%、2位は「財界」27%であり、「官僚」は6%、「アメリカ」は11%であったそうです。
この結果には、とても驚きました。私の思っていたのとは逆で、今、官僚の力はどんどん落ちていると感じるからです。1970年代の、高度成長期の官僚は良くも悪くも大きな力を持っていたと思います。城山三郎の「官僚たちの夏」は、まさに当時の官僚たちの生き様を書いた名作で、先進国の仲間入りをするために「日本株式会社」を支えていこうとする官僚たちの気概に溢れた姿がよく描かれています。私もこの本を読み、官僚の道を選びました。先輩方からの話を伺っても、昔は、朝まで天下国家を論じ、この国の行く末を本気で討論した熱い役人たちがたくさんいたようです。しかし、私が入省した頃からは、いつの間にかそういう雰囲気は無くなり、官僚たちは歯車のように上司の命に従う小役人が多くなってきました。そして上司は自民党政治家の顔色を伺い、彼らへの説明ばかりを気にします。徹夜をして、自民党幹部への説明資料を作ることなど日常茶飯事でありました。政治家も昔は、官僚たちを信頼し任せていたようですが、今は細かいことにまで口を出し、何年もかけて検討してきた政策を、一時のきまぐれや、地元の利益優先のために、大きく修正されたりするのです。昔はともかく、今や「官僚が国を動かす」などというのは大きな誤解です。
それでも、「官僚の抵抗はすさまじい」とよく言われます。総理大臣すらそういうことを言います。(その発言が、今回の調査結果にもつながっているのでしょう。)しかし、これも間違っています。わが国の行政組織法上、大臣の権限は絶対であり、本来、官僚が大臣に逆らえるはずがありません。ましてや総理大臣に歯向かえるはずがありません。確かに、過去何人かの大臣が改革を試み、官僚の抵抗にあい潰されたことはあります。菅直人厚生大臣や田中真紀子外務大臣がそうでした。しかし、これは官僚たちだけが抵抗して潰したのではありません。官僚たちは自分たちの考えと違う大臣が来たら、自民党幹部へ泣きつくのです。田中真紀子大臣の改革を潰すことができたのは、福田官房長官がいたからです。
ですから、政権交代を実現し、一人の大臣だけでなく、全ての大臣が一丸となって霞ヶ関改革を行えば、それはいとも簡単に実現するでしょう。官僚たちも心の中では改革を望んでいると思います。自分たちの力だけでは、中からでは変えられないと思ってあきらめているのです。政治の力で、外から変えてくれることを皆望んでいるのです。私は総務省をやめる時に、多くの先輩・後輩と話をし、そのことを確信いたしました。ですから、私がする霞ヶ関批判は決して昔の仲間を裏切ることではないと信じています。昔の仲間が大好きだから、敢えて批判します。もっともっと霞ヶ関がいい組織になり、高い志をもった皆さんが力いっぱい国民のために働ける職場にしたいからするのです。 |
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2005年5月19日(木) 『弟』
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今日は弟の34回目の誕生日です。世界のホームラン王、王貞治さんと一日違い(王さんは5月20日)です。
私の弟「高井謙治」は、1歳半しか歳が離れていないことから、子供の頃は何をするにも一緒でした。私の友達は弟の友達、弟の友達は私の友達という感じで、野球やサッカーをするにもメンバー集めに事欠きませんでした。
家の中でも、しょっちゅう相撲をとったりラグビーをしたり。「静かにしなさい」と怒られない日はないほどいつも大騒ぎしてました。そんな弟とも、私が高校から寮生活となり、離れて暮らすようになると、だんだん疎遠となり、今では年に数回一杯飲むくらいです。男兄弟というのはそんなものかもしれません。
そんな弟は最大の兄孝行をしてくれました。子供を二人作ってくれたことです。おかげさまで、私の両親はすっかりおじいちゃん・おばあちゃんです。両親も弟夫婦も東京に住んでいるため、両親(特に母親)は孫に会うことを何よりも楽しみにしています。私がたまに実家へ帰っても、孫の話ばかり。いつも写真を見せられます。
しかし、不思議なものです。特別子供好きというわけでもない私ですが、甥っ子(僚太郎と駿之介といいます)はかわいいのです。同級生などからよく子供自慢をされますが、それほどかわいいと思ったことはないのですが、弟の子供はかわいいのです。「血」というものはやはりあるのでしょうか。甥っ子の顔を見ていると、とても「懐かしい顔」だなと思います。それほど弟に似ているとも思わないのですが、どこかで似た雰囲気があり、昔懐かしく感じるのだと思います。
これからも弟夫婦にはお世話になります。親不幸な長男坊に代わり、父と母をよろしく頼みます。 |
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2005年5月18日(水) 『東アジア共同体』
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民主党岡田代表が、外交・安全保障政策に関する提言「『開かれた国益』をめざして」を発表した。党首がこのように「たたき台」を発表し、党内で議論し、全ての党員が従う「マニフェスト」に仕上げてゆくやり方は、望ましい方法であり大いに評価したい。また、その内容も「東アジア共同体」構想など、多くの国民の皆さんの意見を反映したものだと思う。
「東アジア共同体」構想については、私も政策の柱に掲げており、また、最近このHPの掲示板に多くの意見を頂いているので、今日は少し意見を述べたい。同構想に対しては掲示板において批判的な意見を頂いており、また、マスコミにおいても「実現性に疑問」との批判的な見方がある。その主張の主なものをご紹介すると、
@ 過去の歴史に大きな溝があり、修復不可能である
A 中国は共産党の一党支配であり、自由や民主主義の価値観を共有していない
B 北朝鮮という「ならずもの国家」がいる
C 東アジアのみならず、インドやASEANとの連携を重視すべき
等々である。
確かに多くの難題が存在し、すぐに実現できるとは思っていない。しかし、政策とは今すぐ実現可能なものだけを示すものではない。それでは近視眼的な政策しか打ち出せず、「国家百年の計」など語ることはできない。長期的なビジョンを示し、その実現に向け日々努力を重ねることこそ、政治の大きな役割である。今すぐ「東アジア共同体」を実現することは不可能でも、それに向けて努力してゆくのか、それとも日米同盟一辺倒で、アジアとの関係は重視せずによいのか、岡田代表はその選択を国民に迫っているのだと思う。
「東アジア共同体」に否定的な方々は、未来永劫日米同盟に頼るつもりなのだろうか。アメリカという超大国一国におんぶに抱っこで、本当に永続する世界平和など実現できるのか。アメリカがこけたら皆こける、アメリカがひとたび過ちを犯したら、それを制御できるものが何もない。冷戦後の現代はそういう状態にある。そのことに危機感を感じた欧州各国は、過去の歴史を封印して欧州共同体を実現した。フランスとドイツは数百年にわたり凄惨な殺し合いを繰り返してきた「犬猿の仲」の国であり、わが国と中国・韓国との関係どころではない悲惨な歴史を有している。しかし、未来のために、過去を清算し、団結した。「東アジア共同体」構想は、何も日米同盟を捨てることではない。日米同盟は堅持しつつも、アメリカという超大国に一定の緊張感を持たせることに意味がある。世界はそういう方向で既に動き始めている。東アジアだけ違う道を進む理由もない。
地理的な要因というものは人間の手により変えることができない。わが国は東アジアという地域を飛び出すことは逆立ちしてもできない。だとすれば、いかに「より良い東アジア」を作っていくのかを考えるべきである。中国の体制がおかしいのであれば、「より良い体制」となるようお互いが努力すればいい。そのためには、「まず隗より始めよ」で自らが襟を正すことである。中国が悪いといくら非難しても、それこそ小泉総理の言う「内政干渉」といわれるだけで、水掛け論にしかならない。
東アジアだけでは不十分という意見はもっともだと思う。しかし東アジアがまとまらないのに、他のアジアがまとめられるはずがない。まずは「東アジア共同体」を作り、それからアジア全体に拡大してゆけばよい。
「東アジア共同体」は確かに難しい。しかし、100年前は欧州共同体だって、絶対不可能と思われていたはずである。何事もやってやれないことはない。そのための第一歩を踏み出すのか、無理だと決めつけあきらめるのか、ただそれだけである。安易に現状維持を目指す日米同盟一辺倒の意見には反対である。一国に頼る国際平和は、一人の英雄に頼る政治と同じで必ず崩壊する。民主主義と同様、いろいろなバランスをとりながら国際平和は維持してゆかなければならない。 |
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2005年5月17日(火) 『ラーメン食べ歩き紀行』
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最近、嬉しいことに「たたかい日記」の読者も増えてまいりました。それにつれて、いろいろと日記に関するご意見も頂くようになりました。「もっと真面目に書きなさい。飲み会やカラオケの話はほどほどに。」というご意見と、「もっと庶民的なことを書いてほしい。ラーメン食べ歩き紀行のような日記がよかった。」というご意見に大別されます。
私は、両方のご意見とも、「ごもっとも」と思います。政治家の日記は、読んでいただいてなんぼ。読んでいただくことにより、はじめて「たかいたかし」の人となりや考え方を知っていただくことができます。そういう意味では、これからも両方のご意見のバランスを取りながら、親しみやすい愛される日記を目指して参ります。「たたかって」ばかりいる人は、皆から愛されませんから。
ということで・・・前置きが長くなりましたが、今日は「食べ歩き」特集。
最近名刺をお渡しすると、名刺の裏面に書いてある「趣味:ラーメン食べ歩き」のことが話題になります。「どこがおいしいの?」とよく聞かれます。そのときの気分や聞かれた方の住んでいる場所等に応じて答えていますが、一度私の中のラーメンランキングを整理してみたいと思います。(岡山以外の読者の方、ごめんなさい。岡山旅行の際の参考にして下さい。)
1位 天下一品ラーメン(倉敷市児島)
京都発祥の全国チェーン店ですが、私が学生時代から愛好しているラーメンで不動の1位です。なぜか、岡山は児島にしかありません。
2位 琥家(岡山市奥田南町)
博多ラーメンの超有名店「一風堂」で修行した店長のお店。味もそっくりです。こってりとんこつ系です。
3位 麺屋たくみ(岡山市中央町)
江田事務所のすぐ近くのため、しょっちゅう食べに行きます。超こってりで、癖になる味です。
4位 とりそば太田(岡山市表町)
前の勤務地の県庁の近くのため、よく食べました。こってり好きの私にしては珍しくあっさり系です。鶏肉と煮卵がおいしいです。
5位 えびすラーメン(岡山市平和町)
こってりとんこつです。メニューがラーメンとチャーシュウメンしかありませんが、味は絶品です。
6位 天神そば(天神町)
お昼はいつ行っても並んでいる有名店です。一見、ぎとぎとに見えますが、意外とあっさりしています。
7位 仙助(赤磐市町苅田)
こってり系のラーメンもさることながら、デミグラスソースとたくさんのキャベツが添えられたカツ丼が絶品です。小カツ丼があるので、ラーメンと両方食べられます。
8位 豚平(津山市院庄)
津山を代表するこってり系ラーメンです。最近、岡山駅西口にも支店ができました。
9位 むつみ屋(岡山市下石井)
ベスト10の中では、唯一の味噌ラーメンです。こってり味噌です。
10位 山富士(岡山市本町)
飲んだ後に食べるねぎラーメンが最高です。
以上、勝手にランキングでした。この他にも、
博多一番 あまいからい 商人 龍や ラーメン大統領 べトコンラーメン 百万両 やまと だて 金八 四天王 陶せん 丸てん 鳳夢蘭 地雷也
などなど、岡山はおいしいラーメンに事欠きません。この中で、いずれ全国展開するラーメン屋さんが出てくることを心待ちにしています。
ちなみに、このサイトが岡山のラーメンについてよくまとまっていて、評価も私と近いお薦めサイトです。ご覧下さい。
http://www.geocities.jp/itano1975/ |
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2005年5月16日(月) 『ITで日本が変わる、岡山が変わる』
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夜7時から、菅源太郎さんが毎月開催している勉強会に講師としてお招きいただきました。菅源太郎さんからのリクエストで、私の前の職場の経験を基に、「ITで日本が変わる、岡山が変わる」と題して1時間半、20名の方々を前にお話いたしました。
ところで皆さん、岡山県がIT先進県であることをご存知でしょうか。
岡山県は、長野前知事の時代の平成8年に、全国のどこよりも早く「岡山情報ハイウェイ構想」を打ち出しました。当時、私は郵政省のIT担当部門におりましたが、日経新聞の1面に出たこの記事をめぐって、省幹部が大慌てで対応したことを覚えています。アメリカのゴア副大統領が提唱した「情報スーパーハイウェイ構想」の日本版を、国ではなく自治体である岡山県が実施したからです。当時の郵政省幹部の出した答えは「けしからん」というものでした。すぐに岡山県の責任者(この方が後に県庁で私の上司となります)を呼び、撤回を求めましたが、この方は頑として譲りませんでした。結局、岡山県は国の方針に逆らい、この構想を進めてゆきました。今では、全国のほとんどの都道府県や市町村が同様に光ファイバーを整備しており、総務省では補助金まで交付し、推奨しております。岡山県は先見の明があったわけです。(逆に郵政省にはなかったわけです。)
それ以来、岡山県はIT関係者の間では「全国一のIT先進県」として知られるようになります。現在でも自治体が整備する光ファイバーの総延長は国全体の1割に及び、ダントツの1位です。
私が岡山県庁に赴任した年には、アセアン10カ国と中国・韓国・日本の13カ国のIT首脳が一同に集まる「東アジアIT協力会議」が岡山で開催されました。これも岡山がIT先進県であることが認められた証左でしょう。翌年には、全国マルチメディア祭が開催され、3日間に10万人以上の来場者がありました。
私が岡山県庁を去る二ヶ月前に、「おかやまIT戦略プログラムee」を書き上げました。岡山県がこれから進むべき道を記したものです。少し背伸びをしたプログラムで、財政状況の苦しい中、実現困難な施策も多くありますが、夢のあるプロラムであったと思います。
今は政治の道を目指しておりますが、岡山をNO1の街にすることは私の夢であり、そのためにはITは欠かすことができないツールです。これからも、ITをライフワークとし、関わってゆきたいと思っています。 |
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2005年5月15日(日) 『竹下夢二 ドイツワイン』
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午前中は、昨日に引き続きJPU青年部の合宿に参加。皆さんと一緒に備前焼の体験学習に参加しました。粘土をこねるのは小学生以来。久しぶりに童心に返りました。いろいろなイベントを通じて、JPU若手の皆さんとすっかり仲良くなりました。最後に皆さん一人一人に名刺をお渡しし、二日間の感謝とこれからのお付き合いのお願いをいたしました。
合宿終了後、せっかく前島に渡ったので、前島ご在住の江田五月会の方々を訪問することにいたしました。前島まで来る秘書も珍しいようで、皆さんに歓迎していただきました。
お昼過ぎのフェリーで牛窓港へ戻り、瀬戸内市議選に立候補している民主党推薦候補の事務所へ。朝、出陣式があり、江田京子さんや津村啓介さん、森本てつまさんはじめ大勢が集まったとのこと。民主党としても勝たなければならない選挙です。
午後からは瀬戸内市の挨拶回り。今日で旧邑久町を終了し、明日から旧長船町を回ります。旧邑久町は美人画家の竹下夢二の生まれた町。夕方、竹下夢二の生家に立ち寄り、しばし想いを馳せました。
夜は、小林秘書と一緒にワインの試飲会に参加。三原誠介県議をはじめ多くのワイン好きが集まっておりました。私はドイツ留学時代にドイツの白ワインにはまりました。ドイツは緯度が高いため、基本的に白ワインしか作ることができません。その代わり白ワインは絶品です。ドイツといえばビールのイメージがありますが、実はワイン派が圧倒的です。自国のワインに誇りを持っていて、「ワインといえばフランス」のような発言をするとムッとされます。私はドイツのトロッケン(辛口)ワインが好きなのですが、日本に入ってくるドイツワインは甘いものばかりで、なかなかおいしいドイツワインには出会えません。今日はいくつかトロッケンワインもあり、久々においしいドイツワインを楽しみました。値段もお手頃だったため、つい購入してしまいました。一人で飲むのは寂しいので、誰か付き合って下さい。
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2005年5月14日(土) 『JPU青年部合宿に参加して』
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午前中はデスクワークと瀬戸内市への挨拶回り。
午後1時半、牛窓港からフェリーに乗り、前島へ渡りました。
午後2時から、前島の研修センターで開催された「JPU中国地方本部 岡山ブロック青年部レク」へ参加いたしました。
JPU(日本郵政公社労働組合)の30歳以下の若い組合員のレクリエーション企画です。レクリエーションですが、午後2時から5時までみっちり研修するとのこと。その真面目さに頭が下がります。私は、その研修会の講師として呼ばれました。
旧郵政省出身者として、JPUさんとはOB同様のお付き合いをさせてもらいたいと思っていましたので、喜んでお引き受けいたしました。特に、若手と交流を図ることは願ってもないチャンスです。総勢80名の「若い力」の前で、「霞ヶ関の実態と郵政民営化について」と題して、1時間半講演いたしました。
最初は「郵政民営化の問題点について話してくれ」と言われていたのですが、せっかくの機会なので、自分の自己紹介とともに、「なぜ霞ヶ関を辞めたのか」「霞ヶ関の何が問題なのか」等、私の持論や政策目標についてもお話いたしました。また、最後には、てんつくマンの映画のエピソードも紹介し、「若い人達が動かなければ、世の中は何も変わらない。一人一人が一歩づつ踏み出そう!」という話もいたしました。
研修終了後は、バーベキュー大会です。
最初他人行儀だった皆さんも、お酒が入るにつれ打ち解け、「先ほどの講演、感動しました!我々若い世代がやらなきゃだめですよね!!高井さん、応援しますよ!!!」と言ってくれる人が何人かいました。一人でも「動こう」と思ってくれる人がいれば、それで大成功なので、満足のいく講演だったと思います。
バーベキューの後もさらに懇親会は続き、80名のほとんどの方とお話しすることができました。労働組合も若者離れが進んでいるそうです。しかし、これから民主党が政権を取るためには、選挙に行かない労働組合員の方にいかにその気になってもらうかが勝負です。「連合を当てにしてはいけない」という指摘をされる方もいます。しかし、連合は民主党の最大の支持組織であり、連合加盟の組合員さんすべての票を戴くくらいの気持ちがなければ、どうして政権交代など実現できるでしょうか。あの強い強い自民党を倒せるでしょうか。私は岡山県の連合票はすべて取るくらいの気迫を持って、これからの活動を続けていきます。 |
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2005年5月13日(金) 『OK対決』
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本日、昨晩岡山に宿泊したてんつくマンと朝食をご一緒させていただきました。
姫井由美子県議やKUYAの臼井雅一さんはじめ、10名ほどのメンバーが昨夜に続き集まりました。
てんつくマンは、最近、香川県が気に入って、月の半分近く滞在されているとのこと。香川県には熱い人達が集まっているそうです。総務省の1年後輩で、前回の衆議院選で惜敗した小川淳也さん(民主党香川1区)もその一人とのこと。
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てんつくマンと OK対決 |
私から、「岡山でも、私の仲間たちが社会貢献活動に挑戦しようとしています。ぜひ岡山にも来て下さい。」という話をしました。その後話は発展し、岡山と香川でただ一緒に仲良くやるだけではつまらない、お互い一つのテーマを決めて競い合おうという話になりました。名づけて「OK対決」(もちろん、岡山のOと香川のK)。
てんつくマンと意見が一致したのは、ごみ拾いなどは楽しくやらないと続かない、ということです。「アホになる」ことは楽しいものです。動機は不純でもいいのです。とにかく「動き出すこと」が大切です。これから岡山を楽しくしていきたいと思います。
午前10時半、香川県へ向かうてんつくマンを見送り、事務所へ。その後、本日も一日、瀬戸内市の挨拶回りです。
夜は、支持者のHさんとTさんに、しゃぶしゃぶをご馳走していただきました。貧乏暮らしの私にとって、しゃぶしゃぶなど食べるのはいつ以来でしょうか・・・。お二人にはいつもお世話になってます。ありがとうございます。 |
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2005年5月12日(木) 『動けば変わる』
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本日は、朝7時に瀬戸内市の長船駅に集合し、津村事務所のメンバーとともにチラシ配りから始まりました。
前日の秘書・スタッフ懇親会の席上、売り言葉に買い言葉で約束してしまったのですが、懇親会2次会が終了したのが午前3時半。家に帰る時間もないので、江田事務所駐車場の車の中で睡眠。朝6時に起きて長船駅に向かいました。長船駅は30分に1本しか電車が来ないのですが、電車到着時間の前には多くの人が駅に来ます。自分のPRとともに、瀬戸内市議選の民主党推薦候補木下てつおさんのPRをいたしました。
その後、車中で若干の仮眠の後、本日も終日瀬戸内市(旧邑久町)の挨拶回りです。雨の降る嫌な天気の中、へとへとになりながら回りました。
夕方岡山市内に戻り、姫井由美子県議やいつもお世話になっているKUYAの臼井雅一さんが企画している自主映画上映会に参加いたしました。会場の国際交流センターには大勢の若者が詰めかけていました。
映画の題名は「107+1〜天国はつくるもの〜」。この1年間に口コミだけで200回以上の上映を行い、1万人以上が観た映画だそうです。パンフレットには、「天国をつくろうとしたド素人たちの真実の物語(ドキュメンタリー) 監督/軌保博光改め『天国をつくる男』こと“てんつくマン”」とあります。「てんつくマン?何それ??うさん臭いなあ・・・」。正直言って、そう思いながら観に行きました。
映画は、ごく普通の人達が、あるきっかけから「動き出そう」と決意し、沖縄で3つのプロジェクトを進めるという実話(ドキュメンタリー)です。一つはアフガニスタンの子供たちに1kmのマフラーを編んで届けること。二つ目は沖縄で散乱している不法投棄のゴミを拾って歩く活動。三つ目は沖縄から鹿児島まで900kmイカダを漕いで渡る、というものです。これだけ聞いても皆さん「何それ?」「何でイカダ漕ぐの?」と思われるでしょうが、「百聞は一見に如かず」です。ともかく感動の嵐でした。てんつくマンはこの映画で、「すべてはやるかやらないか。あきらめるかあきらめないか。」「ごく普通の人が、ふとしたきっかけで動き出したら、こんなにも世の中が変わるんだ。」「できないと思えることでもやればできる。この世に絶対できないものなんてないんだ。」そういう気持ちを普通の人に感じてもらえる、そして一人でも多くの人が「動き出そう」と思える映画を作りたい、というものでした。
映画の冒頭のメッセージから考えさせられます。赤ちゃんが生まれるシーンをいくつか取り上げ、こうテロップが流れます。(以下、映画のテロップや台詞等は正確な引用ではありません。)
「皆忘れていませんか?お母さんが命がけで産んでくれたことを。ただ長く生きるだけの人生でいいのですか?」
私も同じことをよく考えます。人はみな「ただ生きる」ために生まれたのではなく、「よく生きる」ために生まれてきたのだと。どんな人でも、みんな社会の中で役割を担って生きているのだと。自分のためだけに生きることは許されないのだと。
また、最後のメッセージも重い言葉でした。アフガニスタンの老人が言う、「アフガニスタンでは、もう何十年も自分たちで決めたことはない。いつもアメリカやロシアの言うがままにしてきた。」という言葉に対し、てんつくマンが、「いつかきっと自分たちで決めることができる時が来ます。その時まで希望を捨てずにがんばって下さい。」と慰めます。すると、老人がこう言います。「あなたたち日本人こそ、希望を持って下さい。あなたたち先進国は、自分たちの力で世の中を変える可能性を持っているのです。あきらめずに勇気を出して行動して下さい。」
日本の政治家を目指す一人として、重い重い言葉です。日本の政治家は、「日本の国益」を考えることが当然ですが、「国益」とは何か、もう一度考え直さないといけない。ただ、武力で国を守る、領土を守る、経済を発展させる、国際社会で発言力を持つ・・・そういうことが「国益」なのか。
てんつくマンは更に言います。「この地球を守れなければ、愛する人ひとりも守れない」。アフガニスタンでは、戦争で亡くなるよりも、何倍もの人が干ばつで亡くなるそうです。地球温暖化で雨が降らない。川は干上がり、湖もただの大きな穴となっているだけ。寒さで何人もの子供たちが毎日亡くなるのです。マフラーがあれば救われる子供がたくさん居るのです。
上映会が終わった後の懇親会の席で映画の感想を聞かれ、私はてんつくマンと参加した皆さんにこう申し上げました。
「日本の国会議員が全員辞めて、この映画に出演した人達が政治家になれば、間違いなくこの世の中は良くなります。」
本当にそう思います。(もちろん、江田五月さんや津村啓介さんをはじめ立派な国会議員もいることは言うまでもないことです。)私は、この映画を全国の政治家及び政治を志す人達に観てほしい、そう思いました。「動けば変わる。すべてはやるかやらないか。」このことを一人でも多くの人に知ってほしい、てんつくマンとその仲間たちはその思いで、この映画をつくりました。本来、それは政治家の役割だと思います。税金をどう集めどう使うのか、どんな法律を作るか、そんなことは政治家のごく一部の仕事に過ぎません。人はみな社会の中で役割を持って生きているのです。そのことを思い出してもらい、それぞれの役割を思う存分発揮してもらうようにコーディネートすることが、「よく生きる」ためのお手伝いをすることこそが、政治家の最大の仕事だと思います。
また、こうも申し上げました。「私は、これから勝ち目は無いと言われる相手と戦います。誰もが、無謀だ、止めた方がいい、と言います。でも、この世に絶対無理なんてことはありません。あきらめずに続ければ、いつか必ず実現できる。そのことをこの映画で再確認し、勇気をもらいました。」と。
てんつくマンは、顔を見てインスピレーションで言葉を書く「路上詩人」としても有名で、すでに6万人以上の人にメッセージを送っています。この日も映画を観て感動した100人近くの人達がKUYA前の路上に集まり、11時頃までてんつくマンに言葉を書いてもらいました。私もお願いしました。一切の自己紹介もなく書いてもらった言葉が以下の言葉です。この言葉はこれから生きる上で大切にしていこうと思います。
「崇志がよろこびの人となること、それで崇志はよろこびをつくれる人となり、おおくが崇志の力となる。」 |
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2005年5月11日(水) 『秘書・スタッフ懇親会』
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本日夜、私の呼びかけで、「民主党岡山県 秘書・スタッフ懇親会」を開催いたしました。民主党岡山を支える総勢20名のメンバーが集まり、一杯やりながら、わきあいあいと(実は・・・お店の人に怒られるくらい大いに盛り上がり)意見交換いたしました。
秘書・スタッフならではの苦しみや悩みは、上司(議員・候補者)の前では話せないもの。本日は、議員・候補者の方々には申し訳ありませんが、参加禁止です。あしからず。
私が江田五月秘書となり4ヶ月が経ちますが、このような会を開催するのは今日が始めて。過去にもこれだけの秘書・スタッフが一同に会することは初めてのようです。政治活動は秘書・スタッフの努力なしでは成し得ないものです。秘書・スタッフ同士が情報交換し、切磋琢磨するこのような機会は是非とも必要であり、今後も続けていきたいと思います
私が政治の道を志し、岡山へ帰ってくるにあたり、秘書となるべきか否か、正直言って迷いました。「近い将来、候補者を目指すのであれば、中途半端に秘書になるのはよくない」というアドバイスも少なからず頂きました。大学講師や民間シンクタンクに来ないかという話も頂きました。
しかし、私は秘書になってよかったと思っています。例え短い間であったとしても、この4ヶ月間だけでも大変勉強になりました。また秘書の苦しみや悩みは、秘書にならなければわからないものだと思います。私は秘書となったことで、秘書・スタッフの皆さんの苦しみ・悲しみを少しでも共有できたことが、これからの政治活動において、大きな大きな財産となると思います。
これからも江田事務所をはじめ、民主党岡山の秘書・スタッフとは、一心同体の気持ちで、「政権交代」という大きな目標に向かって頑張りたいと思います。
どうぞ江田事務所の皆さん、そして衆議院1区から5区各総支部の秘書・スタッフの皆さん、今後ともよろしくお願いします。私が秘書ではなくなっても、このような会を行う際には、ぜひ「OB」ということで呼んで下さい。今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。 |
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2005年5月10日(火) 『IT戦略プログラム』
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本日、山陽新聞のエリア総合面に囲み記事で大きく「ITの人材発掘 マイスター制度創設、募集」との記事が出ました。
これは、私が県庁の課長時代につくった「おかやまIT戦略プログラムee」の目玉事業の一つです。知る人ぞ知る「情報先進県」として知られる岡山ですが、岡山情報ハイウェイをはじめとするネットワーク整備等は進んでいますが(自治体ネットワークの整備率はダントツの全国1位です)、それを使いこなす人材が少ない。わが国は全般的にIT人材不足に陥っており、これからは岡山県としてもIT人材育成に力を注いでいかなければいけないとの思いで、書いたものです。
最初は、上司や課員から、「本当にこんな制度うまくいくの?」と冷やかされたものですが、今こうやって日の目を見ていることに感慨もひとしおです。
行政のつくるビジョンは、机上の空論が多いのも事実です。しかし、一方で、このように一旦ビジョンに載せてしまえば、多少の反対があろうとも進められていくことも事実です。
私はこの「プログラム」を書き終えたところで、県庁を離れましたので、その後の実行(ビジョンは作ることよりも実行することが大切だし、難しいのです)を担っていただいた県庁情報政策課の職員の皆様に感謝しています。 |
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2005年5月9日(月) 『動けば変わる』
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昨日でゴールデンウィークも終わり。皆さん、いかがお過ごしだったでしょうか?2日休めば10連休ということで、海外旅行等行かれた方も多いのではないでしょうか。
最近よく、「ホームページは誰が管理しているの?」と聞かれます。元岡山県情報政策課長としては、「もちろん自分だよ」と胸を張って言いたいところですが、実は、父の知り合いの方にボランティアでお願いしています。ご無理をお願いしているにもかかわらず、大変親切に更新してくださっています。
この管理人さんが、ゴールデンウィーク中、海外旅行に行かれたとのこと。私の日記がしばらく更新されずご心配をおかけしました。これからは、江田五月さんのホームページと同様、掲示板の方にまず私が書き込み、それを管理人さんにアップしてもらうようにいたします。これからも師匠である江田五月さんを見習い、できるだけ早く日記を書くことを心がけます。
本日から2週間、瀬戸内市に入ります。瀬戸内市の江田五月会メンバーは2000人。この方々を中心に訪問活動します。もちろん、既存の支持者以外の方の掘り起こしも大切です。「まっすぐに、ひたむきに。」1軒1軒歩くのみです。
夜は江田事務所でデスクワーク。メールの返信や書類の整理など。メールもなかなかすぐに返事を書けずに申し訳ありません。元来不精な性格ゆえ、これからは直さなければと思っています。
それにしてもデスクワークが多い。今日ももう午前1時を過ぎましたが、まだまだ終わりません。最近、家は寝に帰るだけで、江田事務所が我が家のような気がします。
でも、自分で選んだ道。決して後悔することはありません。今、目の前にあるチラシ(5月12日国際交流センターにて上映の映画「107+1〜天国はつくるもの〜」)に、大きな字で「動けば変わる」と書いてあります。私の大好きな言葉です。「動くか止まるか。迷ったら、動く方を選ぶ。」これが私のモットーです。その方が決して後悔しないからです。無謀と思える挑戦(勝てるはずがないと言われる選挙)でも、やってみなければわかりません。動かなければ何も変わらないのです。 |
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2005年5月8日(日) 『県北街宣デー』
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本日は一日、県北街宣デーです。
当面の私の活動は、「県北から」を合言葉に行っていきたいと思います。都市部はどうしても浮動票への依存度が高くなりますが、都市部以外では浮動票は期待できません。それだけ息の長い地道な活動が必要となります。その代わり一度築いた絆は簡単には崩れません。いろいろな意味で、私は「県北」にこだわっていきたいと思っています。
 
午前中に岡山市を出発し、赤磐市(旧山陽町→旧赤坂町→旧吉井町)→美咲町(旧柵原町)→津山市(旧津山市→旧加茂町→旧阿波村)まで回りました。旧阿波村は鳥取県境の岡山県最北の村で、合併前は人口680人の県内で最も小さな村でした。私の今後の活動のスタートを切るのにふさわしい場所だと思い、ここでスポット演説を行いました。
帰りは津山市から、美作市(旧美作町→旧英田町)→佐伯町→和気町→赤磐市(旧熊山町→旧山陽町)と通り、岡山市へ帰ってまいりました。途中スポット演説を数箇所しながら、3区担当の清水秘書と交互にマイクを握ります。お互い一昨日がデビュー戦でしたが、回を重ねるごとに上達してきた気がいたします。江田事務所に帰ってきたのは午後8時。まるで選挙戦本番のようなマイク収めとなりました。
県北は農業・林業が中心の地域です。今日は、民主党の農林業政策について力を入れてお話いたしました。自民党の支持基盤は農林水産業と言われておりますが、現状を見る限り、自民党の農林水産業政策は明らかに失敗に終わっています。それが証拠に一例を挙げれば、かつて60%以上あったわが国の食料自給率は、先進国で最低の40%まで低下しています(イギリスは逆に40%が60%まで上昇しています)。私は、民主党の農林水産業を重視する政策をしっかりと訴えていけば、必ず農林水産業を営む方にも民主党を支持していただけると確信しております。「自民党の牙城」などという、つまらない固定観念にとらわれずに、これからも「まっすぐに、ひたむきに」民主党の政策を訴えていきたいと思います。 |
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2005年5月7日(土) 『デビュー戦』
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本日、午前中は江田事務所内の会議(瀬戸内市議選への応援体制等)とデスクワーク。
午後1時からは民主党岡山県連「基本政策勉強会」に出席。最初に1時間程、江田五月さんから「憲法問題」について講話。続いて、不肖私から、「郵政民営化問題について」40分程度お話をさせていただきました。
民主党に入りまだ4ヶ月の“ひよっこ”の私が、このような大役を拝命し、誠に光栄であります。聴講者も当初の見込みを超え、100名以上の党員・サポーターが集まり、立ち見が出るほどの大盛況。マスコミも数社来ておりました。何よりも嬉しかったのは、日頃1分1秒を争い活動を続けている衆議院1〜5区の候補者の皆さんが最後まで聴いてくれたことです。とてもやりがいを感じました。デビュー戦とはいえ、このような場で緊張していては人に政策を訴える政治家など目指せません。度胸一番、自信を持って臨みました。我ながら、落ち着いて話ができたと思います。話の内容については、郵政民営化の政府案と、それに対する民主党の考え方。さらに先般の政府・自民党合意の内容とその問題点についてお話いたしました。この他にも、総務省・郵便局勤務時代の裏話や個人的な想い・見解等についても、コメントいたしました。郵政問題はこれからもライフワークにしていきたいと思います。
午後3時半の終了後、江田五月さんご夫妻ととともに、清水秘書の運転で和気町へ。藤公園の藤まつりを見学後(偶然、岡山県町村会の藤本前会長にお会いいたしました)、備前市長に当選された西岡憲康さんの選挙スタッフ慰労会に出席いたしました。30人余りの西岡さんを応援する方々が来られておりましたので、私の名刺をお渡しし、PRに努めました。
午後9時過ぎに終了。その後、4人で岡山市内の博多ラーメンのお店「博多一番」で夜食を食べました。江田さんご夫妻をお送りした後、菅源太郎さんらが「KUYA」に居ると聞き、合流いたしました。途中から「ちくわ笛」で有名な住宅正人さんも来られ、午前1時過ぎまで懇親を深めました。 |
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2005年5月6日(金) 『たたかいは県北から・・・』
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本日と8日(日)の二日間、県北で街宣活動をすることにいたしました。
親分(江田五月さんです)から、「ゴールデンウィークは帰省する人も多いから、県北を街宣したらどうだ」と言われ、遅まきながら二日間実行することにいたしました。
私も、先般の選挙応援活動の中で、県北の重要性を再認識したところでした。また、複数の選挙ツウの方からも「選挙は県北から」「県北を制するものは全県を制する」 とアドバイスを受けていました。中国の毛沢東も、日本の田中角栄も(全く立場の違う二人ですが・・・)、「農村から」が合言葉でした。
私も今後の選挙活動は県北から始めたいと思います。「民主党は都市型政党だ」とよく言われますが、そんなことはありません。農業政策は自民党より明らかに優れたものを提案しています(食料自給率の向上・直接支払い制度の実施等)。また、今回の選挙応援活動で、「都市部以外にも民主党を支持してくださる人はたくさんいる」ということを実感いたしました。都市部以外で民主党が勝利しない限り、政権交代など夢のまた夢なのです。
本日は、岡山市内から旧御津町・久米南町・美咲町と回りました。3区担当の清水秘書と二人で回りましたが、二人とも街宣でマイクを持つのは初めてです。試行錯誤しながらの一日でした。しかし、こうした地道な活動が必ず実を結ぶ日が来ると信じてこれからも頑張ります! |
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2005年5月5日(木)
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本日は、旧御津町(現岡山市)在住の喜多孝さんに一日連れ歩きをしていただきました。
まずは、玉野市へ。毎年こどもの日に、岡山県出身のプロ野球選手OBが集まって子供たちに野球を教えるイベントがあり、喜多さんの後輩(岡山東商の1年後輩)土井淳元太洋ホエールズ捕手が音頭をとっているとのこと。岡山県出身のOB選手が勢ぞろいしており、昨年退団した阪神タイガースの代打の神様、八木裕元選手も来られており、名刺交換させていただきました。また、岡山東商OBの二宮連合会長代行もカメラ係として来られており、ご挨拶いたしました。
その後、夕方まで岡山市内を中心に、喜多さんに連れ歩きをしていただきました。喜多さんは、江田五月さんの選挙を最初から手伝ってきた重鎮で、県下全域にわたり顔の広い方です。その喜多さんが、「わざわざ両親が東京から頼みに来たんじゃけん」と意気に感じて下さいました。あらためて両親のありがたみを感じました。
午後7時半からは、次期衆議院選予定候補者5人と時尾博幸さん(倉敷市議)と私の計7名で、「岡山マニフェスト」作成の打合せ&懇親会。「岡山マニフェスト」の議論もさることながら、民主党本部及び岡山県連が抱える様々な課題について、熱い議論が交わされました。それぞれのメンバーが持論を展開。民主党は二大政党制の構築に向け国民政党を目指す以上、様々な方の意見を包摂する必要があります。従って、必ずしも全ての候補者が全ての問題に統一見解を持つ必要はないと思います。岡山県の候補者5人も皆それぞれの考え方を持っており、時には激しい議論になりました。肝心なことはそれぞれが自分の意見をしっかり持っていることであり、今日の会でそれがわかり、大変頼もしく感じました。世代交代を訴える民主党、その中でも岡山県候補者の平均年齢は全国的に見ても一、二を争う若さだと思います。これからも、若い世代が議論し、切磋琢磨することが大切だと思います。
1次会では議論が尽きず2次会へ。みな貧乏暮らしの候補者なので、江田事務所を活用いたしました。コンビニで缶ビールとおつまみを買い、さらに熱い議論を戦わせました。午後11時過ぎには五島列島の旅から帰った江田五月さん夫妻が事務所へ立ち寄られました。結局、午前1時まで。まだまだ議論が尽きそうになかったのですが、明日も早くから活動する候補者が多いため、切り上げました。今後も、この7名の結束を固め、民主党岡山の将来を担っていきたいと思います。
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2005年5月4日(水)
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本日も、カプセルホテルで起床。
昨晩から来岡している総務省同期と一緒にマクドナルドで朝食。彼は9時前の新幹線で東京へ帰りました。わざわざ岡山へ寄ってもらい感謝しています。やはり持つべきは友!ありがとうございます。
本日も両親とともに挨拶回り。岡山市、玉野市を回りました。
限られた時間の中での挨拶回りであったため、アポイントもとらずに訪問し、失礼いたしました。また今回はごく一部の方にしかご挨拶できませんでした。他の多くの支持者の皆様申し訳ありません。いずれあらためてご挨拶に伺いたいと思います。
今回あらためて家族のありがたみを感じるとともに、選挙は家族の協力なしには成し得ないものであると痛感いたしました。来るべき時に備え、これからも家族を大切にしていきたいと思います。
午後3時に両親を岡山駅に送り、江田事務所へ。
午後4時から、森本てつまさん(岡山県議)とともに、5月22日投票の瀬戸内市議会議員選挙の対応を協議。民主党の推薦候補は木下てつおさん一人です。友好議員さんは何人かいらっしゃいますが、まずは推薦候補の当選が第一。江田事務所としても全力で応援いたします。
午後6時からは、「草木染 ペルシャ絨毯復元展」のオープニングパーティーに出席いたしました。場所は「テトラヘドン」といって、表町商店街の眼鏡屋「アイウェア・カイロス」2Fにあります。店主の平田さんとは懇意にしており、姫井由美子さんの紹介で行ってまいりました。
イランからペルシャ絨毯の職人さんをお呼びし、実際に織る際の苦労話やイランという国の話で盛り上がりました。40年間日本で生活してきたイラン人のアリーさんは、「日本全国を旅したが、岡山が一番好き」とのこと。その理由は「水と緑にあふれており、イランに似ているから」。イランは日本と同じように、四季があり、水と緑に恵まれた国だそうです。中東というと砂漠のイメージが強い私には、大きな驚きでした。やはり、多くの方にお会いし、いろいろなお話を聞かなければ、間違った誤解が世の中多いのだなあと、思いました。
また、イランはキャビアの名産国ということで、キャビアとワインを振舞っていただきました。現地から空輸したばかりで、保存のための塩洗い等していない生キャビアです。あまりのおいしさに舌がとろけました。普段、粗食に耐える毎日ですので、たまにはお許し下さい。
ペルシャ絨毯は、偽者が横行し、日本にある9割以上が偽者とのこと(シルク製の場合)。本物のペルシャ絨毯は、一枚織るのに10ヶ月かかるそうです。キャビアとペルシャ絨毯、一流のものに囲まれた至福の時を過ごしました。
ペルシャ絨毯展は、テトラへドンで5月16日(月)まで、岡山市立オリエント美術館で5月29日(日)まで開催されています。すばらしい絨毯の数々です。ぜひ見に行かれることをお薦めします。 |
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2005年5月3日(火) 『「たかい日記」あらため「たたかい日記」』
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本日は、江田事務所向かいのカプセルホテルで目が覚めました。
徒歩10秒の江田事務所へ出勤し、すぐに両親を迎えに自宅へ。今日も両親と一緒に、江田五月会会長の河原昭文さんをはじめ、お世話になっている方々へ挨拶回りに出かけました。
午後1時からは、江田五月さんが後援会顧問を勤めるボクサー、藤原直人さん(日本スーパーバンタム級8位)が、世界ランカー、ガマリエル・ディアス選手(WBC世界フェザー級15位)を相手に戦う試合を観戦に行きました。江田五月さんの代理ということで、試合前にリングに上がらせてもらい、ご挨拶させて頂きました。リングに上がるのはもちろん、ボクシングの試合をライブで観戦するのも初めてです。リングサイドで観る迫力は、テレビで観るのとは全く別世界でした。1ラウンドの3分間はとても長く感じられ、またラウンド間のインターバル(休憩時間)はとても短く感じました。
ライブで観るボクシングに言い知れぬ興奮を覚えました。己の身ひとつで闘う姿、ひたすら厳しいトレーニングを続け、その成果をわずか数分のうちに出さなければならない姿、周りのサポーターが我が事以上に熱くなり応援する姿に、今の自分の政治活動がオーバーラップしてきました。私もサッカーやマラソンといった体力勝負のスポーツをした経験がありますが、肉体が限界に達した時に、「いい勝負をした。ここまでやったら十分だ。」と思うのと、「ここまできたんだ。何が何でも勝たなければ。」と思うのとで全く違います。つらく苦しい時に勝利への執念を見せることができるかどうか。最終ラウンドで、顔が腫れ上がり足がふらふらになっても最後のパンチを出せるかどうか。政治の世界も同じだと思います。日々の活動(トレーニング)の積み重ねと、最後は勝利への執念。民主党には「勝利への執念」が足りないと言われます。自民党の「政権への執着心」は凄まじいものがあります。これから政権交代が目前に迫れば迫るほど、その執念・執着心は姿形となって現れてくることでしょう。我々もそれに負けないだけのファイティグ・スピリット、ハングリー精神を持たなければなりません。
政治は「たたかい」です。あきらめた方が負けです。手を抜いた方が負けです。気持ちで負けたら負けです。私の日々の活動は「たたかい」そのものです。ある方から、「たかい日記」を「たたかい日記」に変えたらどうかとの提案を頂きました。本日から「たかい日記」あらため「たたかい日記」にしようと思います。
夜は、父が大のタコ好きなので、下津井のタコを食べに行きました。「保の家」というタコ料理専門店へ。タコのフルコースに舌鼓を打ちました。
午後9時に、両親を自宅へ送り、私は再び岡山中心部へ。総務省の同期が帰省の途中に岡山に寄ってくれました。昔話に花を咲かせるとともに、今の霞ヶ関の状況や、郵政民営化について最新の情報を教えてもらいました。また偶然、総務省後輩の友人に出会いました。この方もとても素敵な方です。3人で時が経つのも忘れ、話に花を咲かせました。日々の新たな出会いに感謝する毎日です。 |
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2005年5月2日(月)
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本日は、津山のホテルにて起床。
東京から来岡中の両親とともに、作州でお世話になっている方々へ挨拶回りに出かけました。津山市を出発し、久世町、落合町、勝山町、湯原町、八束村(いずれも旧町名。現在は真庭市。)でお世話になっている方々を訪問しました。ゴールデンウィークの真っ只中で、天気もよく、皆さん外出されている方が多かったです。留守の方には、父と私の名刺を置かせていただきました。
午後6時に岡山市に戻り、両親は私の自宅へ。我が家は1Kでとても狭く、二人泊まるのが精一杯です。今晩は両親に泊まってもらうこととし、私はカプセルホテルに泊まることにいたしました。
午後6時半から、江田五月事務所に長年勤務された、小嶋由美子さん、富田悦子さんご両名の送別会です。江田五月夫妻、河原江田五月会長、大亀幸雄(前)事務長、森本てつま(現)事務長、及び(現)江田事務所スタッフの総勢14名が参加いたしました。あらためて江田事務所スタッフの結束を固めるいい機会になりました。
最後は、小林・清水両秘書と「山富士」でラーメンを食べながら、江田事務所のあり方について議論。
午前1時、私は江田事務所前の「ハリウッドサウナ」(カプセルホテル)へ。小林さん、清水さんは「ホテル民主」(江田事務所のことです)に宿泊したそうです。 |
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2005年5月1日(日)
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5月に入って最初の日曜日。毎月第一日曜日は京橋朝市の日です。
昨晩寝たのが午前3時。午前6時に目覚まし時計二つを鳴らし、なんとか起床。小雨の降る中、皆さんにチラシを配って回りました。これで4回目。「たかいたかし」の名前も少しづつ浸透しているようです。
午前9時、父母を宿泊先のホテルに迎え、午前10時、江田五月さんのご自宅にご挨拶に伺いました。両親は東京のパーティーでご挨拶をしておりますが、ゆっくりお話するのは初めてです。大変歓迎していただきました。その後、森本てつまさんの事務所を訪問。江田事務所事務長代行の伊原万亀夫さんもいらっしゃって、お二人にご挨拶いたしました。途中、津村啓介さんの事務所にも立ち寄り、ご挨拶いたしました。
13時からは、1区総支部の主催で、建部町で行われる「国政報告会&カラオケ大会」に両親を連れて参加。会場には、菅源太郎1区総支部代表、草苅隆幸県議、姫井由美子県議、羽場頼三郎市議をはじめ、1区総支部の幹部の方々が大勢来られており、皆さんに両親を紹介し、日ごろの御礼を申し上げることができました。両親も、江田五月さんの国政報告や、各議員さんの県政・市政報告を聞き、大変勉強になったようです。
カラオケ大会の途中で中座し、美作市へ。
先日の選挙で、惜敗された堂よしゆきさんのご自宅へご挨拶に伺いました。堂さんは、議席は失いましたが、今後、民主党が政権交代をできるか否かの鍵を握る大事な方です。あいにくお留守でお会いできませんでしたが、今後ともよろしくお願いします。
せっかく湯郷温泉まで来たので、日帰り温泉に入りました。GW真っ只中ということもあり、大変な混雑でしたが、いいお風呂でした。
今夜は津山市で宿泊です。久しぶりに、両親と一杯飲みながらゆっくり話をすることができました。父は林野庁(農林水産省の外局)に長年勤務しておりましたので、県北での風倒木被害について、いろいろと議論になりました。原因は、今の森林が間伐を行わないために、ひょろひょろの倒れやすい木に育ってしまっていることだそうです。最近は安い外国産木材が主流となり、林業を営む方々に間伐を行う余力がなく、森林を未整理のままに放置してきたつけが回ったのだそうです。間伐した木は、木質が悪く使い道がないため、コストばかりがかかる間伐は補助金でもない限り行われなくなっているそうです。父の名刺には「間伐は緑を育てる深呼吸 間伐材パルプ15%、古紙パルプ85%を使用」と書いてあります。林業を再生するためには、間伐を促進することです。私も早速、父を見習い、間伐材パルプを使った名刺を作りたいと思います。また、皆さんにも勧めていこうと思います。 |
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