2005年4月
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2005年4月30日(土)

本日朝は、花咲ひろきさんの総社事務所で目が覚めました。
いつの間にか、花咲事務所の2FでTさんと雑魚寝しておりました。畳の上に寝ていたためちょっと体が痛い朝です。

1Fの事務所で、花咲さんの日記で有名な「小西カレー」を頂きました。あまりのおいしさに3杯おかわりしてしまいました。小西利一さん(総社市議)、ごちそうさまでした。花咲ひろきさん、勝手に食べてすみません。

午前10時から、連合岡山主催の「吉備路メーデー」に出席いたしました。総社市民会館の前に家族連れの皆さんが集まっておりました。江田事務所の5区担当山田秘書は、総社の労働組合の出身で、大変顔が広く、多くの方をご紹介いただきました。昨晩に引き続き、総社の盛り上がりには圧倒されます。

11時半にメーデーを失礼し、藤原秘書の車に乗せてもらい江田事務所へ。引き続き清水秘書の車に乗せてもらい、久米南町へ。午後2時から3区総支部幹事会に出席いたしました。私から、30分程度、「郵政民営化」問題についてお話をさせていただきました。「郵政民営化」が現在の重要な政策課題となったおかげで、郵政省出身の私に出番がよく回ってきます。政府の郵政民営化案の骨子、これに対する民主党の考え方、政府・自民党合意の問題点等についてお話いたしました。(昨日の日記にも書き ましたが、5月7日にも「郵政民営化」問題について、民主党基本政策勉強会の場でお話いたします。皆さんぜひ聞きに来て下さい。)

夜は、東京から来岡している両親と久しぶりに食事。
岡山が全国に誇る「回転寿司」に連れて行きました。東京の回転寿司とのレベルの違いに、うちの両親も舌を巻いていました。絶対、岡山の回転寿司はレベルが高いと思います。

夕食後、事務所に戻って溜まっているデスクワーク。午前3時までかかってしまいました。明日は朝6時起床で、京橋朝市です。つらい一日になりそうです。
 

2005年4月29日(金)

本日は、連合岡山主催の第16回中央メーデーが開催されました。
41団体3000人が参加するとのこと。民主党の最大の支持組織である連合岡山の人達が一堂に会する場であり、民主党の意気込みを伝える絶好のチャンスということで、菅源太郎さんと二人で、開会の1時間前の朝9時から、会場入り口前でジョイント遊説を行いました。
今最もホットな政治課題である年金と郵政民営化についてそれぞれ話をしようと、菅源太郎さんは年金、私は郵政民営化を10分交代で代わる代わる1時間ほど話をいたしました。一人が話す間は、もう一人が二人のチラシを一緒に配ります。かなり効果的なジョイント遊説になりました。

中央メーデーの式典に1時間ほど参加した後、森本てつまさん(岡山県議)の事務所へ。今後の私の活動について話がありました。いよいよ、私も本格的に候補者としての道をスタートする時期が近づいてまいりました。この一ヶ月は、その準備で忙しくなりそうです。

午後3時から、再び菅源太郎さんと合流し、午後4時まで岡山駅前でジョイント遊説。その後移動し、午後5時まで天満屋前で遊説。二人で行うジョイント遊説は、一人でやるよりも、「民主党の若者は頑張っているぞ!」という姿をより強くアピールでき、大変効果があったと思います。チラシも一度に2枚配れることから効率的です。これからも、菅源太郎さんだけでなく、衆議院1〜5区の候補者の方々とのジョイント遊説を積極的に提案していきたいと思います。

遊説終了後、菅源太郎さんに岡山駅まで送っていただき、電車で総社へ。
花咲ひろきさんの事務所で、総社市長選の慰労会です。事務所駐車場でのバーベキューですが、既に30名を超える皆さんが集まっており、今回の選挙で見事再選を果たされた竹内洋二市長も駆けつけておられました。竹内市長とは、はじめてゆっくりお話しすることができました。また花咲さんを支援する多くの支持者の皆様とお話ができ、大変有意義な会となりました。その後、2次会へ移動。最初は帰りの電車の時間を気にしておりましたが、皆さんと話が弾むうちにすっかり終電も逃してしまいました。結局午前1時まで懇親を深め、今日は花咲事務所の2階に泊めていただきました。

総社の盛り上がりは、県下随一だと思います。花咲さん、そして支持者の皆様、どうもありがとうございました。

緊急告知

【民主党基本政策勉強会−たかいたかし講話−のお知らせ】

民主党は、党員・サポーターの皆様を対象に、国政・県政の基本問題について、政策勉強会を開催いたします。当日は、江田五月参議院議員の「憲法問題」に関するお話の他、私、たかいたかしも「郵政民営化問題」についてお話いたします。皆様、奮ってご参加下さい。(参加に当たっては、党員・サポーターになっていただく必要があります。詳しくは、高井までご連絡下さい。)

  日 時: 5月7日(土)13:00〜16:00
  場 所: 労金ビル5F(岡山市津島西坂)

 

2005年4月28日(木)

JR福知山線の脱線事故の死者は、ついに100名を超えました。
死者が100名を超える鉄道事故は、旧国鉄時代の1963年に横浜市で起こった事故以来約40年ぶりで、戦後6例目の大惨事となりました。大学生をはじめ夢と希望に満ちあふれた多くの若者が犠牲となり、どんなに無念であろうと思います。また、突然の不幸の襲来に、ご家族の皆様の悲しみはいかばかりかと思います。謹んでお悔やみを申し上げます。

今晩、なじみのたこ焼き屋「KUYA」にて、店主の臼井雅一さんと菅源太郎さんと今回の事故の話題になりました。臼井さんは、「今回の事故はものすごいショックです。今まで努力すれば必ず報われると信じて頑張ってきましたが、前途有望な多くの若者たちが、何の罪もないのに一瞬のうちに、この世を去らなければならなくなった今回の事故を見て、この世には神も仏もないのか、と暗澹たる気持ちになりました」という話をされました。

私も同感です。今回の事故は、単なる一人の人間の人為的なミスでは済まされない、多くのことを考えさせられました。日本は世界一安全な国といわれ、鉄道も数秒の遅れも許さない完全無欠の交通網を整備してきましたが、実は危険はすぐ間近に潜んでいたのだと痛感いたしました。今まで事故が無かったことの方が奇跡だったのかもしれません。我々は、もう一度、効率性重視、経済合理性重視の今の社会のあり方を見直す時期に来ているのではないでしょうか。人間らしい暮らしを取り戻さなければならない時期に来ているのではないでしょうか。その警鐘を鳴らす事故だったように思えて仕方がありません。その代償は余りにも大きすぎるものでありますが、だからこそ、事故の犠牲になった方々のためにも、国を挙げて真剣に、一人一人がこの事故の持つ意味を考えなければならないと思います。
 

2005年4月27日(水)

本日、郵政民営化関連法案が自民党の了承を得て、閣議決定されました。自民党はなお、国会審議の場で修正を求めるようですが、私から見れば枝葉末節の修正案であり、議論に値しません。自民党の中でも、真の反対派議員たちは、「そもそもなぜ民営化が必要なのか」とのそもそも論を依然として主張しており、その主張内容はいたって的を得ています。地元をよく歩かれ、地域の皆さんの声をよく聞いておられる議員さんなのでありましょう。自民党の与謝野政調会長が次のような発言をされたそうです。私も全く同感です。
「(郵政民営化)反対派はよく勉強して理路整然としているが、賛成派は政局(混乱回避)とかの話ばかりだ」

国民は選挙区の自民党候補者を信任し投票しているのであって、小泉総理を信任したとは限りません。ましてや、郵政民営化を信任したわけではありません。その証拠に、共同通信社の電話調査でも、郵政民営化に賛成は44.9%。この国会で成立させるべきとの人はわずかに21.8%です。自民党の反対派議員さんは、自らの信念に基づきここまで反対してきたわけですから、国会審議の場においても、政治生命をかけて反対していただきたいと思います。このような問題で(郵政民営化が国民生活に重大な影響を及ぼすとは思えません)、衆議院を解散することについては大いに疑問ですが、国のトップである小泉総理が、最も重要な政策課題だと言い張るのであれば、「郵政民営化」を争点に、再度国民に信を問うてもらいたいと思います。繰り返しますが、前回の総選挙も、先日の衆議院補欠選挙も、国民が郵政民営化を信任したわけではないことは明白です。

また、余談ではありますが、今回の郵政民営化関連法案を策定した「郵政民営化準備室」チームについて一言。
このチームは、小泉総理の肝煎りで内閣官房に集められた官僚たちであり、人数こそ総務省(旧郵政省)が多く入っているものの、中枢は他省庁(財務省や農林水産省等)からの出向者に占められています。私も総務省在任中に幹部の方数名とお会いする機会がありましたが、郵政問題については全くの素人という印象を受けました。ともかく、「民営化」という錦の御旗の下に、少しでも小泉総理が満足する「あっと驚く」案を作りたい、マスコミ受けする案を作りたい、そんな気がいたしました。
総務省(旧郵政省)との相談も無く進める「準備室」のやり方に、総務省(旧郵政省)の職員も、半ばあきらめの気持ちを持っていました。郵便局の将来に責任を持たない人たちに(彼らは終わったらまたそれぞれの省庁に帰っていくのですから)、将来を託さなければいけない現状に、憤りを感じるとともに、一生懸命に働く郵便局の職員がかわいそうでなりません。
 

2005月4月26日(火)

本日午前中は、久しぶりの事務局会議。
一連の地方選挙の総括と、今後の取り組みについて再確認。当面の課題は、5月末締め切りの民主党員・サポーターの獲得に全力を挙げることです。この日記を読んでくださっている皆様で、民主党を応援して下さる方は、ぜひ党員・サポーターとなり民主党を支えて下さい。(年会費は党員6000円、サポーター2000円です。お申し込みは、メール【t-takai@sumisumi.com】または電話【090−4005−8641】にて高井までご連絡下さい。)

また、政権交代に向け、民主党では以下のとおり、東京にて「民主党大躍進パーティー」を実施いたします。併せてご協力頂けましたら幸甚に存じます。(同じく高井までご連絡下さい。)
 ■日時 5月24日(火)午後6時開宴(午後5時30分開場)
 ■会場 ホテルニューオータニ東京「鶴の間」
 ■会費 2万円(特別価格もございます。お問い合わせ下さい。)

午後は、選挙応援でしばらく中断していた労働組合への挨拶回り。
某大手製鉄会社の労組委員長さんを訪問した際に、日中問題の話題になりました。製鉄会社をはじめ、我が国の多くの民間企業は、今や中国市場を抜きに経営は成り立たない状況にあります。そういう我が国の経済状態を無視した小泉総理の外交政策には本当に憤りを感じる、とのことでした。
「小泉さんが個人として靖国神社に参拝したい気持ちはよくわかる。戦争で、国家のために亡くなった方々に心からの哀悼の気持ちを感じるのは私も同じだ。しかし、今この時期に、民間企業が血のにじむ思いで努力し、積み重ねてきた中国との関係をぶち壊してまで、公人として参拝する必要があるのか。戦没者に対し国家として哀悼の意を表すことと、中国との友好関係を維持することと、日本の国益を第一に考えなければならない総理大臣として、どちらが大切なのか。」
私も全く同感です。共同通信社の調査でも、小泉内閣の支持率は59%と依然高いものの、対中国政策の不支持率は55%と高率になっており、多くの国民の皆さんは同じ意見なのではないでしょうか。

アジア・アフリカ会議(バンドン会議)での村山談話を踏襲した小泉総理のコメントは、一定の評価をしています。あの小泉さんがよく言ったと。(このコメントが、宮城と福岡の衆議院補選にも影響したと私は思います。)アジア諸国も中国・韓国以外は評価しているようです。そうした状況の中で、靖国神社に国会議員80人が参拝したことは、まさに「水をさす行為」であり大変残念です。また、韓国の首相から、国際会議の場で3回も「過去の植民地支配をたたえる国」と酷評されたことは、一部の心無い発言をする閣僚や国会議員は、猛省してほしいと思います。(韓国首相の言葉が適切か否かの問題ではありません。そこまで言われてしまうような発言をしていることを自覚していただきたいのです。)私は中国や韓国の言いなりになれと言っているのではありません。中国や韓国にも非はたくさんあります。しかし、相手の非を責める前に、自らの非を認め、誰もが納得する形で反省の態度を示した上で、中国や韓国に対して堂々と意見を言うべきです。「お前に言われるほど自分は悪くない。お前だって悪いだろう。そこまで言われる筋合いはない。」では、まるで子供の喧嘩です。いつまでたってもこの問題は解決しません。
 

2005年4月25日(月)

今朝は、昨日の真庭市議選で当選された三村一夫さんが、支持者の方々へかける電話の声で目覚めました。三村さんは昨晩遅くまで起きていたにもかかわらず、朝7時の朝市へ出かけ、帰ってきてからはお世話になった皆さんへ電話です。惜しくも落選された柿本健治さんも、朝5時に起き、旧湯原町から岡山空港まで横浜から応援に駆けつけたお嬢さんを車で送り、その足で支持団体である連合岡山へ御礼の挨拶に行かれたそうです。「選挙の翌日から次の選挙が始まる」と言われますが、まさにそのとおりの行動に、頭が下がります。

本日は、当選された新市議さんの中で、江田五月を支持して下さっている議員さんへ、江田五月のメッセージを渡しに回りました。昨日に続き、清水秘書と分担で回ることとしました。私は真庭市と新見市を担当します。

両市とも、面積は県内1、2を争う大きな市であり、今日は一日中ほとんど車の運転でした。久世町→落合町→勝山町→中和村→川上村→神郷町→哲西町→北房町(いずれも旧町名)を順番に回り、最後の北房町を訪ねたのは夜7時を過ぎました。途中途中に議員さんがおられるので、高速道路は使わずに、岡山市に帰るまで全て一般道路を使ったので、なおさら疲れました。

どの議員さんにも、とても感謝していただきました。
今回の選挙は、全て旧市町村ごとに定数を決め、旧市町村を選挙区として実施されましたが、次回からは全市が選挙区となります。また定数もさらに減ります。今回のように「地域の代表」というだけでは、当選できません。これまで保守系だった議員も、他候補との差別化を図る必要があるため、民主党の推薦を求めてくることが考えられます。民主党としても、地方議員を増やすことは、政権交代の基盤作りにとって欠くことのできない重要課題です。これからは民主党の政策に近い地方議員さんに積極的にアプローチしていかなければなりません。これから、新市議さんを訪問し、いろいろと意見交換していきたいと思います。

昨日の衆議院補欠選挙は、大変残念な結果に終わりました。
敗因はいろいろあると思いますが、私は、民主党の風が止んだとは思いません。小泉総理の政策が支持されたとも思いません。岡山での地方選挙を経験し、明らかに、国民の皆さんからの「自民党への強い不満」と「民主党への微かな期待」を感じます。今回の選挙は、民主党が勝てる候補者を出せなかった、ということだと思います。知名度、経験、政策能力、日常活動等様々な面で自民党の候補者の方が上だったのだと思います。(今回の候補者のお二人のことは私もよく存じませんので、言いすぎであればご容赦下さい。)
これからの民主党の最大の課題は「候補者の質を上げること」だと思います。いくら国会議員が応援に入っても、最後は候補者本人の資質です。そしてしっかりと準備期間を設けて日常活動をすることです。今回の場合は、準備期間が少なかったことが最大の敗因でしょう。国民の皆さんはよく候補者本人を見ています。民主党だからといって誰にでも投票してもらえるわけではありません。選挙は政党を選ぶのではありません。政治家を選ぶのです。
今回の結果は残念ですが、一喜一憂せずに、ひたすら前向きに地道に政権交代を目指して、日々努力していきたいと思います。民主党の候補者自身が日々成長してゆかない限り、政権交代は夢のまた夢です。
 

2005年4月24日(日)

本日は、地方選挙の投票日です。これまで応援してきた候補者の結果が気がかりです。また、宮城と福岡では衆議院の補欠選挙があります。これもまた、気になります。投票率が上がればよいのですが・・・

朝9時30分に、森本てつま県議の事務所へ集合し、西大寺の綱引き大会に参加しました。チームは、その名も「森本わっしょいチーム」。いつも森本てつまさんを支えている支持者の方々と、江田事務所津村事務所の若手精鋭(?)4人が参加しました。結果はあっけなく2連敗。綱引きは普段使わない筋肉を使うため、早くも筋肉痛の予感です。

午後、事務所でデスクワークの後、夕方5時に事務所を出発し、再び県北へ向かいます。今回、江田事務所が応援した市議会議員選挙は真庭市と美作市と二つあるため、私が真庭市を担当し、清水秘書が美作市を担当します。

旧湯原町の柿本健治さんの事務所へ詰め、旧八束村の浅原孝さんと、旧久世町の三村一夫さんの結果が入り次第、岡山市の江田事務所へ連絡し、江田五月さんが駆けつける手はずです。

柿本健治さんの事務所で、重苦しい時間を過ごします。途中経過が入ったのですが、状況が芳しくありません。
午後8時20分頃、浅原孝さんの事務所から、「20票差で落選」の報が入りました。ショックで言葉も出ません。
その更に10分後。今度は柿本健治さんも「落選」の報。私は、生まれて初めて、落選する瞬間に立ち会いました。うなだれる支持者の前で、柿本健治さんと後援会長、そして奥様と娘さんは気丈に振る舞い、皆さんにお礼とお詫びの挨拶をされました。10分後に江田五月さんが駆けつけ、柿本健治さんや支持者の方々にねぎらいの言葉をかけられました。落選された方を訪問することはつらいことです。
その更に10分後、三村一夫さんは「当選確実」との報が入り、江田五月さんは三村一夫さんの事務所へ向かいました。三村さんのもとへ駆けつけるか、落選された浅原さんのもとへ向かうか、迷いましたが、まずは落選された方へ行こうと決めました。30分ほどで浅原孝さんの事務所へ。浅原さんは無念の表情を浮かべながら「老兵は去るのみか・・・」と寂しそうにおっしゃいました。また、「お金に負けたのが悔しい」ともおっしゃいました。
私も、浅原さんそして支持者の皆さんに、自分の非力を詫びました。あと20票。もう一日応援に入っていれば・・・。後悔の気持ちで一杯です。

後ろ髪引かれる思いで旧八束村を去り、午後10時過ぎ、三村一夫さんの事務所へ駆けつけました。堂々の3位当選(7名中)に、集まった支持者の方々は大いに盛り上がっていました。勝つと負けるとでこんなにも違う、まさに選挙の真髄を見ました。30分ほど皆さんと喜びを分かち合った後、「真庭ニューピオーネの会」に所属する旧勝山町の谷口宗一さんと、旧落合町の妹尾もとおさんが、当選されたと聞き、こちらへもお祝いに駆けつけました。ここでも大いに盛り上がっており、やはり「選挙は勝たなければ」との思いを強くいたしました。

午後11時半に、再び三村一夫さんの事務所へ戻ると、親類の方等ごく親しい方のみで慰労会をされておりました。私もずうずうしくお邪魔し、そのまま三村さんのお宅へ泊めてもらうことにいたしました。お疲れのところ、奥様にはご迷惑をおかけしました。

美作市では、旧美作町の堂よしゆきさんが敗れ、旧大原町の樋元弘一さんが当選されました。市長選挙は、新見市の石垣さん、備前市の西岡さんの両方が勝利。江田事務所は、先週から続いて市長選挙は4連勝ですが、本日の市議会議員選挙は3勝3敗です。

「敗軍の将、兵を語らず」で、あれこれ言うつもりはありませんが、やはり、定数が激減した市議会議員選挙は、自民党がただでさえ減った議席を守ろうと必死の選挙だったのだと思います。当選した議員の皆さんの公約を見ると、「地元への利益誘導」が中心でした。新しい市全体のことを考えた政策を掲げて戦った候補者は敗れていきました。小さな選挙ほど、その体質がまだまだ残っていることを実感させられました。また、相変わらず実弾(何かはご想像下さい)が飛び交っているとの噂も絶えませんでした。噂が真実であれば、明らかに違法です。どうして取り締まることができないのでしょうか。議会制民主主義が始まって、300年以上が経ちます。もういい加減そういう選挙は終わりにしたいものです。真面目に戦った候補者が馬鹿を見る、政治が馬鹿にされている気がしてなりません。言い続けたらきりが無いので、この辺にしておきます。長くなりましたので、国政選挙の民主党敗北については、明日にしたいと思います。
 

2005年4月23日(土)

市町村合併に伴う一連の地方選挙戦も、残すところあと1日となりました。岡山県の一番北に位置する蒜山高原の朝は寒いです。桜がまだ咲いており、岡山県も広いなあ・・・と感じます。

朝7時に起床。本日一日、本隊車に乗りマイクを持つため、浅原孝さん(真庭市・旧八束村地区候補者)と私の演説の内容について打合せ。
朝8時30分に、選挙戦最終日のスタートです。
午前中は、浅原さんの地元を中心にこまめにスポット演説を入れます。午前中だけで7回ほどのスポット演説を行いました。最初に浅原さんが自らの政策を訴え、その後、私が応援弁士として演説をします。スピーチは、以下のようなお話をし、浅原さんへの投票を訴えました。

「私は岡山市から浅原孝さんの応援にやってまいりました高井崇志と申します。4ヶ月ほど前まで、総務省・岡山県庁に勤務し、地方行政に携わってまいりましたが、浅原孝さん の掲げる政策は、いずれも国・県の政策に先駆けた、すばらしい政策ばかりです。(具体的に何点か指摘・・・中略)
今回の合併により、岡山で最も有名な蒜山が、大きな真庭市の中に埋没してしまわないか、一岡山県民としてとても心配です。蒜山・八束村を代表する議員はたったの3人です。3人で40人の真庭市議会議員を相手に蒜山・八束村の声を伝え、実行に移さなければなりません。この重責を担うことができるのは、7期26年の村議経験を持ち、人脈、行動力、政策能力を兼ね備えた浅原孝さんを他においておりません。
浅原孝さんはベテランの議員ですが、我々若い世代にも共感できる様々な政策を打ち出しています。新しい政策を打ち出すことができる、柔軟な思考を持った気持ちの若い議員です。
どうか、岡山県民がこよなく愛する蒜山の将来のため、賢明な選択をお願いします。私は岡山市民ですから、どうすることもできません。浅原孝さんを真庭市議会へ送り出し、蒜山の将来を託せるのは、有権者の皆さんだけです。もし万が一、浅原孝さんを落とすようなことがあれば、蒜山にとって、そして岡山県にとって、大きな財産を失うことになります。皆さん、明日はどうか浅原孝をよろしくお願いします。」

お昼過ぎには、江田五月さんが1時間ほど応援に参りました。
江田五月さんは、他に真庭市(旧湯原町・旧久世町)、美作市(旧美作町)、新見市の民主党推薦候補者の応援に回りました。

午後6時まで、スポット演説とカラスを続けました。スポット演説は回を重ねるごとに修正してゆき、自分でも満足のいくものになったと思います。しかし、もう声が出ません。

最後の2時間は、浅原さんの奥様と娘さんがマイクを持つことになりました。私はここでお役ご免です。事務所に残った支持者の皆さんと夕食を食べながら反省会。皆さんからは、「演説うまかったよ。かなり有権者の心に響いたはず。」と誉めて頂き(お世辞かもしれませんが・・・)、ほっといたしました。
午後8時のマイク収めまで居たかったのですが、他の候補者も気になりましたので、午後7時には旧八束村を後にしました。

午後8時前に、同じ真庭市議候補(旧湯原町地区)の柿本健治さんの事務所へ到着。すでにマイク収めは終わっており、皆さんで労をねぎらっておられました。30分ほど歓談の後、同じ真庭市議候補(旧久世町地区)の三村一夫さんの事務所へ。ここでも、大勢の支持者の方が残っておりました。30分ほど歓談し、今日は4日ぶりに岡山市の自宅に帰りました。

高速道路代を節約し、一般道路で帰宅すると夜12時過ぎです。たかい日記を書かなければと思いつつ、いつの間にか爆睡。最近、更新が遅くて申し訳ありません。
 

2005年4月22日(金)

本日、朝7時に津山市の津村啓介さんのご実家を出発。
本日は、真庭市議会議員選挙に立候補している、旧湯原町からの候補者と、旧八束村からの候補者の応援です。

昨日に引き続き、本隊車に乗り、スポット演説とカラスをさせていただきました。
旧八束村からの候補者は、26年の村議経験のあるベテラン議員ですが、逆に長い議員生活が批判されているようです。政策立案能力も高く、夢を語ることができる数少ない地方議員であり、「真庭ニューピオーネの会」の中心人物でもあるため、絶対に落とすわけにはいきません。私が応援に入る前に、津村啓介さんも応援に入ってくれたと聞いたので、「33歳の国会議員と、35歳の私が、自信を持って応援する候補です。」と若い世代へのアピールを中心に訴え続けました。

夜8時のマイク収めまでマイクを握り続けました。終わってから、候補者や支持者の方々と食事をしながら、今日の反省と明日の作戦を練ります。明日も旧八束村での応援のため、今晩は候補者のお宅へ泊めてもらうことにいたしました。

岡山の自宅を出て、これで3泊4日になります。約一ヶ月にわたり続けてきた県北行脚も、いよいよ明日で大詰めです。
今回の平成の大合併に伴う地方選挙で一番の打撃を受けたのは間違いなく自民党です。自民党の集票力の源であった地方議員の数が大幅に減ったためです。地方議員の大半は自民党系議員であるため、例え自民党系議員が全員当選したとしても、その数は減ることになります。ですから、これ以上一議席も失うまいと、自民党は必死です。こうした中で、民主党が応援する候補者が当選することはとても大きな意味を持ちます。地方議会の勢力図も大きく変わってきます。次の国政選挙を占う意味でも、今回の地方選挙はとても大切なのです。民主党挙げて、勝ち抜かなければなりません。

明日は朝一番から、本隊車に乗り込み、終日カラスです。ラスト一日、声がつぶれるまで頑張ります。
 

2005年4月21日(木)

本日は、真庭市(旧湯原町地区)の市議会議員選挙に立候補している民主党推薦候補の応援に入りました。

応援する候補者は、昨日の山陽新聞にも取り上げられた「真庭ニューピオーネの会」の発起人であり、まとめ役の方です。「真庭ニューピオーネの会」にとっても、民主党にとっても、絶対に当選していただかなければならない候補者ですので、応援にも力が入ります。

今日は本隊車(候補者本人が乗る車)に乗ることになりました。
江田五月さんの代理としてスポット演説とカラス(車の中から候補者を応援すること。女性がやる場合はウグイス、男性がやる場合はカラスと呼んでいます。)をやりました。
本格的に本隊車に乗っての選挙応援はこれが初めてで、多少緊張しましたが、そんなことは言っていられません。一生懸命、声をからして候補者をPRいたしました。スポット演説は、先日の江田五月さんの演説を真似しながら、自分なりにアレンジして、少しでも候補者の良さを知っていただくよう努力いたしました。新しい真庭市は岡山県一面積の大きな市で、過疎・高齢化が進み、大きな課題を抱えた市です。単なる地域のお世話役といった議員では、新しい真庭市の市議会議員はつとまりません。真庭市全域のことを考えることができる、政策立案能力のある議員が求められていることを一生懸命訴えました。

津山市議会議員の権田市議も応援に来られており、スポット演説は、権田市議、私、候補者の順で、6箇所ほど行いました。また、横浜から候補者の一人娘のお嬢さんも応援に駆けつけ、私の隣でウグイスです。本日の旧湯原町は肌寒く(途中気温6度と表示されていました)、窓を全開にしながらの街宣はしんどかったですが、とてもいい経験になりました。ようやく政治の世界に飛び込んだのだな、と実感できる一日でした。

夜8時のマイク収めの後、候補者の地元の消防団の操法訓練を見学。明日の応援の打合せの後、夜10時過ぎに旧湯原町を出ました。本日も津山市の津村さんのご実家に泊まらせていただきます。朝早い時間に出て、夜遅い時間に帰るため、津山市の江田五月会の皆さんにご挨拶ができません。津山市には大変熱心に江田五月さんを応援してくれる方々がおり、本来真っ先にご挨拶に伺わなければならないのですが、申し訳ありません。津山市は今後の私の活動にとって重要な拠点です。津山市の皆さん、これからもよろしくお願いします。
 

2005年4月20日(水)

本日は、終日、美作市(旧美作町)の挨拶回りです。
雨降る中、一軒一軒、ご挨拶をして回りました。

夜7時に挨拶回りを終え、津山市へ移動。夜8時から、県庁時代からの付き合いで、現在津山市に住む友人と一杯。久しぶりに昔話に花を咲かせました。彼は郵便局に勤めており、郵政民営化問題について、現場で働く職員の意見をいろいろ聞かせてもらいました。私が思っていることと違う面もいくつかあり、改めて現場の声を聞く大切さを痛感いたしました。官庁などに勤めていると、とかく「机上の空論」になり易く、自分の考えが正しいと信じ込む悪い癖があるので、注意が必要です。

今晩は、津村啓介さんのお母様のご実家へ宿泊させてもらいました。
お部屋はきれいに片付けられており、布団まで敷いていただいておりました。津村さんのご両親には、ただただ感謝するばかりです。ありかとうございます。
 

2005年4月19日(火)

本日も終日、備前市の江田五月会の皆様への挨拶回りです。

朝10時から夕方5時まで備前市内をくまなく歩きました。備前市では今週末に市長選挙があります。人口の多い備前市の前市長と、人口の少ない日生町の前町長の対決です。先日の赤磐市長選挙によく似た構図です。再度、「小よく大を制する」のか。民主党への期待を推し量る意味でも、注目の選挙です。

ところで、備前市はなんと言っても「備前焼」で有名な街ですが、いまひとつ全国的な知名度が低いような気がします。(恥ずかしながら、私も東京にいた頃、備前焼が岡山県とは知りませんでした。)最近、「県民性」分析がはやりのようですが、岡山県人の短所の一つに、「PR下手」というのがあります。他の短所として挙げられている「よそ者に冷たい」、「計算高く、ずるがしこい」等の評は全く当たっていないと思いますが、この「PR下手」は当たっているような気がします。遠慮深い性格なのでしょうか。せっかくすばらしい観光資源や特産品がたくさんあるのですから、もっともっとPRすべく、頑張らなければと思います。

夜は、江田五月会会長の河原昭文先生(元岡山弁護士会会長)からお誘いを頂き、東京大学のOBが集まる「弥生会」に参加いたしました。
東京大学の学生・OBは「愛校心がない」とよく言われます。かく言う私も、これまで大学のOB会には出席したことが無かったのですが、こうして出席してみると、やはり大学のつながりはありがたいものです。転勤族の息子として転校生活を余儀なくされた私は、小中高校のいずれの同窓会にも出席したことがありません。(案内状が来ないのです。)そんな私にとって、大学のOB会は貴重な同窓会です。これからも先輩・後輩のつながりを大事にしていきたいと思います。
 

2005年4月18日(月)

昨夜の勝利の余韻が残る中、激戦の疲れか(?)寝坊してしまいました。

目が覚めると朝7時25分。7時30分からの「おはよう730」まであと5分。飛び起きて、すぐ着替え、寝癖も直さずに岡山駅前に向かいました。5分ほど遅刻して到着。すでに菅源太郎さんが演説を始めていました。
いつものようにチラシを配っていましたが、8時になっても他の弁士は来ません。今日は菅源太郎さん一人のようです。「これはチャンス!」とばかり街宣車に乗り込むと、菅源太郎さんがマイクを譲ってくれました。

「おはよう730」のデビューです。
民主党の国会議員候補者公募に合格し、昨年12月に総務省を退職、岡山へ戻ってきました高井崇志です。総務省、岡山県庁で働く中で、多くの疑問を感じ、このままの政治・行政を続けていていけない、その一心で、政治の道を志しました。もはやこの国は政権交代でしか変えることはできません。・・・」
短い時間でしたが、「地域主権の実現」という自分の主張を伝えることができたと思います。これからも、街頭で自分の政策を訴え続けていきたいと思います。

「おはよう730」後の朝食を済ませ、9時30分に、津村啓介さんのお母様である津村温子さんにお会いしました。
実は、たかい日記を読まれた温子さんが、津山市にあるご実家を使ってもいいと申し出てくれたのです。津村啓介さんの御祖父さんは井上龍臣さんといって、津山市の教職員組合の重鎮で、校長先生まで勤められた方です。その娘さんが温子さんで、津村啓介さんもお母様の実家津山市で生まれたのです。津村啓介さんが衆議院議員になった後に井上龍臣さんは亡くなられ、それ以来ご実家には誰も住んでいらっしゃらないそうです。
「好きな時に使っていいよ」と鍵を預けていただきました。これから県北を回る機会が多くなる私にとっては大変ありがたいお話です。遠慮なくお借りすることにいたしました。

一旦、事務所へ戻り、秘書団と次の日曜日の市長選挙・市議会議員選挙応援の打合せをした後、備前市へ向かいました。本日は備前市の江田五月会の方々を訪問し、ご挨拶回りして歩きました。

夜7時から、赤磐市議選に見事3位で当選した樅野志朗さんの慰労会に参加しました。樅野さんは江田五月さんが長年お世話になった方で、民主党が力を入れて応援した議員さんの一人です。樅野さんご本人や支持者の方々のご努力はもちろんのこと、ここでも民主党への大きな期待を感じる、予想以上の得票数でした。30名以上の支持者の方々にご挨拶をし、「次は君の番だな」と激励いただきました。民主党の力強い応援団の方々ばかりです。
 

2005年4月17日(日)

本日は、県北の各地域(美作市、真庭市、新見市)で、市長・市議選挙の告示日です。また、これまで応援してきた赤磐市・総社市の市長・市議選挙の投票日です。

昨晩から美作市の湯郷温泉江田五月さんと一緒に泊まりました。
7時に起き、朝風呂を浴びた後、9時からの美作市議選候補者の出陣式に出席しました。出陣式の後、江田五月さんは30分ほど候補者と一緒に車に乗り流し街宣(途中3箇所スポット演説)。私は二宮さん運転の車に乗り、街宣車の後をついてゆきます。今日は6候補者の応援を掛け持ちのため、分刻みの応援スケジュールです。私が、候補者と連絡を取りながらスケジュール管理です。

10時ちょうどに切り離し、1030分に旧大原町へ到着。ここでは応援する候補者としばらく連絡がとれず10分のロス。分刻みのスケジュールの中では痛い失敗です。ここでも流し街宣とスポット演説3箇所。10分時間を延長し、1140分に切り離し、今度は真庭市へ。

途中、中国自動車道の勝央サービスエリアで昼食を食べ、13時に真庭市の旧久世町へ。ここでも真庭市議選候補者の車に乗り流し街宣。

1350分に切り離し、同じ真庭市の旧湯原町へ。1415分の約束の時間どおりに到着し、流し街宣と3箇所のスポット演説。連合岡山の森本会長も応援に駆けつけており、盛り上がりました。

1515分に切り離し、1530分に旧八束村へ。ここでも流し街宣と3箇所のスポット演説。蒜山まで国会議員が来て応援する候補者は他におらず、皆さん興味深々で江田五月さんの話を聞いておられました。1615分には切り離し、今度は新見市へ。

新見市までは1時間かかり、1715分に到着。ここでは、新見市長選挙に立候補している民主党推薦候補の応援です。旧哲多町役場と井倉駅前の2箇所でスポット演説。両方とも大勢の方々が聞きにこられました。

19時に本日の応援は全て終了しました。しかし、仕事はまだ終わりません。これまで応援してきた赤磐市長候補の荒嶋りょういちさん、総社市長候補の竹内洋二さんの開票がまもなくはじまります。
20時過ぎに総社まで戻り、食事をとった後、花咲ひろきさんの事務所へ。花咲事務所では、事務所を挙げて竹内洋二さんの選挙を手伝っており、多くのスタッフ、支持者の方が竹内洋二さんの当選を信じて集まりました。随時入る開票速報では、全くの五分と五分。重苦しい時が流れます。一方の赤磐市長選挙も、やや遅れて開票が始まりましたが、開票率60%になっても五分五分です。

2230分になり、11,50011,000で、500票ほど竹内洋二さんがリードとの情報。開票率も70%を超えたので、竹内事務所へ向かうことにしました。竹内事務所では数百名の支持者がそわそわしながら結果を待ちます。開票率90%を超え、差が200票まで縮まったとの情報。嫌な予感がします。23時を過ぎ、全て開票は終わったはずですが、当選が決まりません。どうやら400票ある無効票を精査しているようです。それだけ差がないという証。大激戦のようです。2350分、ようやく「よし。当選。」との声があがり、支持者の皆さんは歓喜の嵐。蓋を開けてみればなんと70票差の勝利。36,000人が有権者数ですから、なんと0.2%の差です。それでも勝ちは勝ち。竹内洋二さんの粘り強さには頭が下がります。また、一生懸命応援した甲斐がありました。皆さん、それぞれがこの70票は「自分の票だ」と思ったことでしょう。

竹内洋二さんの万歳三唱の最中に携帯電話が鳴り、「荒嶋敗れる」の報。
やはり、大きな町が勝つのか・・・。がっくり肩を落としていると、今度は「荒嶋勝った」の報。もうどうなっているのか???何人かの人に確かめると、どうやら荒嶋りょういちさんが勝ったようです。これで民主党は2連勝!幸先のよいスタートです。すぐに万歳をしている江田五月さんに荒嶋勝利を伝えました。江田五月さんも「荒嶋破れる」の報を聞いており、半信半疑な様子ですが、何はともあれ急いで赤磐市へ向かいました。
どうやら、相手候補の遠藤さんが、連絡ミスで間違った票数を聞いてしまい、万歳を先にしてしまったとのこと。なんとも無念だったことでしょう。

荒嶋さんはすでに万歳を終えた後でしたが、江田五月さんともども、がっちり握手し、当選を祝いました。結果は、荒嶋さん11,008票、遠藤さん9,639票、保田さん5,634票で、堂々たる勝利でした。

荒嶋さんの勝利は、人口5,000人の吉井町の前町長が、人口25,000人の山陽町の前町長を破ったという選挙で、大きな意味があります。そして、荒嶋さんは自民党には推薦を求めず、民主党のみが推薦している新市長です。地方選挙を行う度に、国民の皆さんの民主党への期待をひしひしと感じます。次はこの結果を国政選挙に結びつけ、必ずや政権交代を実現しなければなりません。

27時に帰宅。長い長い一日が終わりました。
 

2005年4月16日(土)

本日は、午前10時に下市このみさん(岡山市議)の事務所を訪ねました。下市さんは郵便局出身の議員さんで、民主党にも大変協力的な議員さんです。ここで、「公務非常勤問題を考える講演会実行委員会」の東さんとお会いしました。

「公務非常勤問題」とは聞きなれない言葉ですが、郵便局や地方自治体等の公務職場で働く非常勤職員(アルバイト)の労働条件改善、権利の拡大等の問題です。私の出身の郵政公社では、現在40万職員のうち、非常勤職員(郵便局では「ゆうメイト」と呼ばれています)は13万人にも達しており、今後ますます増えることが予想されます。同じ職場で同じ仕事をしながら、待遇が全く違う、こういう状況が長年続いています。公務職場にかかわらず、わが国全体でも、アルバイトは就労者全体の4割近くまで増えており、今後も増加傾向はますます強くなるでしょう。労働運動にとっても、アルバイトの在り方は避けて通れない大きな課題です。郵便局は特に非常勤職員の多い職場であり、多くのゆうメイトさんの苦労を見てきただけに、この問題はとても身近に感じられました。東さんから協力を依頼されましたが、こちらこそまさに「わが意を得たり」の思いで、今後全面的にご協力させていただこうと思います。

11時に下市事務所を発ち、12時前に赤磐市に到着。赤磐市長選挙に立候補している荒嶋りょういちさんの事務所へ立ち寄り、激励しました。

午後は終日、赤磐市回りです。本日は選挙戦最終日と言うこともあり、大勢の市長候補者、市議候補者が回る中、赤磐市の江田五月会の方々を訪問して回りました。

午後7時にいったん江田事務所へ戻り、泊まり支度をして、清水秘書の車に乗せてもらい、再び赤磐市へ。清水秘書は、もみの市議候補の、私は荒嶋市長候補のマイク納めに出席しました。激戦を戦い抜いた荒嶋候補は、満足そうな表情で熱く支持者の方々にお礼を述べました。私に対しても最大限の感謝の言葉を頂戴いたしました。

その後、清水秘書の車に同乗し、一路美作市へ。
明日は早朝から、江田五月さんとともに県北を駆け巡るので、今日は湯郷温泉に泊まりました。念願の温泉に入ろうと思いきや、同じ宿に森本てつまさん(岡山県議)が宿泊しており、お誘いがありました。日ごろ車の運転で飲めない江田事務所の二宮さんと一緒についつい一杯。二宮さんも昔から政治に関わってきた闘士であり、日ごろあまり聞けない、昔話をいろいろと聞かせていただきました。こうした長い歴史の上に今の民主党岡山県連はあるのだということを改めて実感いたしました。我々若い世代は、若さを前面に出し闘いながらも、歴史を作り上げてきた先達に対しては常に謙虚でなければなりません。「故きをたずねて、新しきを知る」、まさに温故知新の気持ちです。
 

2005年4月15日(金)

本日の毎日新聞に下記の記事が掲載されました。

「旧郵政省:官僚の政界進出、民主から4人続々−民営化、将来に不安」との見出しの記事です。
私は、総務省や郵政公社という組織の将来に不安を感じて辞めたわけではありません。国民全体の奉仕者たる国家公務員が、自分の所属する組織の将来を考えることこそが官僚組織の最大の欠点だと思います。私が総務省に勤めた短い間にも、どれほど組織防衛や組織の権限争いに巻き込まれたか分かりません。特に、平成9年の橋本行革の際に、組織防衛の最前線部門(大臣官房総務課)に所属した際には、なぜ組織の維持にこれほどの労力を費やさなければならないのか、毎日首をひねりながら、徹夜勤務を続けていました。

組織の権限争いの一例を紹介すると、霞ヶ関の名物ともなっている「法令協議」という儀式があります。
法律案を作成することは、官僚にとって最もやりがいのある仕事です。(法律作りは、本来政治家の仕事でありますが、残念ながらその作成能力は遥かに官僚が勝っていると思います。)しかし、この法律を作る仕事はものすごく大変です。省内でも優秀な連中をスカウトしてプロジェクトチームを編成し、半年から1年、時には何年もかけて「タコ部屋」と呼ばれる部屋にこもり、朝早くから深夜遅くまで、休日も返上で作業をします。ようやく作成した法案は、国会で審議してもらう前に、各省庁に協議します。日本にはいろいろな法律がありますが、それらは全て整合性を持たなければなりません。(A法律とB法律とが相反することを定めていては、国民はどちらに従えばよいかわからず、社会秩序が混乱してしまうからです。)そのため、各法律を所管する省庁が、国会に提出予定の法案が自分の所管法律と矛盾しないかどうかチェックするのです。このチェックが終わると、事務次官会議に諮られ、閣議決定され、法案は国会に提出されます。

問題は、その「法令協議」の過程で、省庁同士が不毛な権限争いをすることです。法令協議では、まず最初に法案に対する質問を出すことができます。このとき「紙爆弾」といって100も200も質問をするのです。(ほとんどが、揚げ足取りのくだらない質問です。)そしてその回答が来るまで、協議には応じません。このような嫌がらせのような時間稼ぎをしながら、法案にケチをつけ、法案の提出を見送らせるか、自分の省庁に都合の良いように修文させるか、あるいは「覚書」といって両省の権限についての約束事(密約)を文章で交わすのです。
このくだらない組織の権限争いのために、私は何度も徹夜をしました。「この法律が本当に国民の役に立つのか、国民の利益を損ねることは無いのか」等の本質的な議論よりも、「この法律で自分の省庁がどれほど権限を拡大できるのか、予算を獲得できるのか」、そんなことに頭を悩ませる省幹部たちに閉口したものでした。

日本の官僚は優秀だし、徹夜も厭わない働き者です。しかしその貴重な人材・エネルギーを、不毛なところで消耗しなければならない今の「霞ヶ関」という組織に愛想が尽きました。そしてこれからは、そういう不毛な仕組みを改め、一生懸命働く同僚たちが、国民のためを想う志を実現できる組織にしたい、そのために自分は尽力しよう、そういう思いで政治を志しました。
自分がかつていた職場の恥部をさらすような日記は本当は書きたくありません。しかし、こうした事実を公開し、皆さんが「このままではダメだ。変えよう!」と思ってくれなければ、今ある悪しき慣習は永遠に変わりません。これからの私の役割は、恥を忍んで「霞が関」の真実を伝え、改革の必要性を皆さんに訴えることだと思っています。

【毎日新聞 2005年4月15日 東京朝刊】

旧郵政省:官僚の政界進出、民主から 4人続々−−民営化、将来に不安

旧郵政省に入省した中堅キャリア官僚が次々に退職し、民主党から政界へ転身している。「郵政官僚」の政界進出はこれまで特定郵便局に支えられたOBが、自民党参院議員になるケースにほぼ限られていただけに、総務省内でも驚きが広がっている。

情報流通高度化推進室長を最後に3月に退職したばかりの阿知波吉信氏(41)は、民主党が次期衆院選岐阜5区の候補予定者に公認内定した。98年に旧郵政省放送行政局係長で退職した石関貴史氏(33)は群馬2区の候補予定者に。有力な自民党郵政族の笹川尭氏(69)と対決する格好で、「10年前には考えられなかったこと」(日本郵政公社幹部)との指摘が出ている。

昨年末に電気通信事業部事業政策課長補佐で退職し、今年初めから民主党の江田五月参院議員会長の私設秘書になったのが高井崇志氏(35)。江田氏の地元、岡山県政界では「将来の国政選挙に向けた準備」と受け止められている。郵政行政局総務課調査官を14日付で退職した奥野総一郎氏(40)は、千葉市長選(6月19日投開票)に民主党千葉県連が擁立する。

同省は、郵政民営化に加え、情報通信分野でも経済産業省との部門統合論がくすぶっているため、「将来像が描けず人材が流出している」(総務省中堅)との指摘がある。民主党から出る背景には、小泉純一郎首相が郵政民営化を推進するなか、阻止役の自民党の力の衰えを身近に感じていることがあるようだ。

【岩崎誠】

 

2005年4月14日(木)

本日も8時過ぎにゆっくり起床。
ビジネスホテル生活は、総務省を辞める前に11週連続で岡山に帰ってきた際に利用していましたので、慣れたものです。

9時に新見市を出発し、車で30分の旧北房町へ。
ここ旧北房町は、もともと上房郡といって、有漢町、賀陽町と北房町の3町で一つの郡を構成しておりましたが、今回の市町村合併で、3町とも別の市町に分かれてしまいました。(有漢町は高梁市へ、賀陽町は吉備中央町へ、北房町は真庭市へ)。本日も挨拶回りをした中の何人かの方がおっしゃっていましたが、北房町と真庭郡はもともと密接なつながりも無く、江戸時代には「備中国」と「美作国」に分かれていたため、住民の中には一つの市になることに違和感を持たれる方も多いようです。
さらにもっと違和感がある(違和感というより「おかしい」)のは、上房郡は3市町に分かれるのに、県議会議員の選挙区はそのまま残るのです。これまで上房郡で1名の県議会議員が選出されていましたが、次の県議会議員選挙でも、旧北房町、旧有漢町、旧賀陽町から1名を選ぶのです。それぞれ3市町にすでに分かれているのにです。全国でもこのようなエゴとしか言いようのない恥ずかしい選挙区を残しているのは数えるほどしかないといいます。一岡山県民として、岡山県議会に再考を促したいと思います。

旧北房町では、金谷みつじさん(前北房町議)が真庭市議選に立候補を表明されています。昨年夏の参議院選挙でも大変お世話になった方であり、ぜひとも当選していただかなければなりません。

朝10時前に、金谷さんのお宅にお邪魔し、旧北房町の江田五月会メンバーのリストを確認し、早速挨拶回りへ。
今日は気持ちのいいほどの快晴で、暖かく、快調に回ることができました。

 途中、高梁市との市境近くを回っていると、「山田方谷生誕地」との看板を見つけました。多少道草ですが、山田方谷は私が尊敬する数少ない政治家の一人ですので、早速訪ねてみました。
山田方谷は、財政危機に陥っていた備中松山藩を立て直した江戸時代の政治家(役人)です。行き詰まった財政難を、地域独自の産業興業策や藩札刷新で改革した姿は、まさに私が目指す「地域主権を実現し、地域が独自の改革を行うことによって、我が国の再生を目指す」という政策目標に一致します。おまけに、私が以前赴任し、今でも第二の故郷と思っている新潟県長岡市の英雄「河井継之助」(越後長岡藩家老。司馬遼太郎『峠』の主人公。)が敬愛し、わざわざ長岡から勉強に来たのです。私にとってこの二人の縁は自分自身の縁のように思えて、以来、山田方谷先生に関心を持つようになりました。
生誕の地は、ひっそりとしたところにお墓があるだけでしたが、桜も咲きほこり、とても風情のある場所でした。しばし、仕事を忘れ、思いを馳せました。私も方谷先生のような政治家になれるでしょうか・・・

夜7時前には旧北房町全ての江田五月会の方々の訪問を終えました。明日からは岡山市近郊での挨拶回りのため、3日ぶりの我が家へ帰ります。
 

2005年4月13日(水)

本日は8時過ぎまでゆっくり寝ました。多少高い宿泊代を出しても、睡眠時間には変えられません。「タイム・イズ・マネー」です。

 落合インターから中国自動車道に乗り、新見インターへ。新見インターから車で30分ほどの旧哲西町へ向かいました。
旧哲西町では、前田一紀さん(前哲西町議)が、新見市議選の立候補を予定しており、民主党として応援することとしております。

昨日、旧哲西町で挨拶回りをする旨を、旧哲西町出身の羽場頼三郎さん(岡山市議)へ伝えたところ、羽場さんもちょうど新見市にいるから、一緒に回ろうということになりました。お言葉に甘え、今日は羽場さんに連れ歩いていただきました。

羽場さんの旧哲西町での人脈はすごく、どこへ行っても皆さん知ってらっしゃいました。羽場さんは、小中学校はいつも成績トップで、高校は名門進学校金光学園に進学し、早稲田大学へ進まれた秀才です。地元ではきっと「神童」だったのではないでしょうか。羽場瀬三郎岡山市議

羽場さんの案内で、50軒ほど回りました。また、羽場さんのお母様や、ご兄弟、息子さんにもお会いできたのは大きな収穫でした。

本日は旧哲西町のほかに、旧北房町を回る予定でしたが、羽場さんに精力的に連れ歩いていただいたので時間がなくなってしまいました。(嬉しい誤算というやつです。)
旧北房町は明日回ることとし、本日は新見市のビジネスホテルに泊まりました。午後7時にはチェックインしたため、久しぶりにゆっくりテレビで野球観戦しながら、日記を書いたり、挨拶回り先のリスト整理をしたり、溜まっていたデスクワークを済ませました。ここから岡山市内まで帰り、また明日戻ってくれば、往復4時間は車の中です。1分1秒を争う闘いを挑んでいる挑戦者の身には、誠に無駄な時間です。これからもできる限り、移動時間を少なくする工夫をし、時間を有効活用していきたいと思います。
 

2005年4月12日(火)

昨日の「たかい日記」でかなり熱く語りましたので、今日は普通の日記にします。

朝、事務所で1時間ほどのデスクワークの後、美作市へ。この地域では堂よしゆきさんが美作市議選に立候補を表明しています。
今日も5時間ほどかけ、美作地区の江田五月会の皆様に挨拶回りをいたしました。今日は1軒1軒離れている地域が多く、また雨も降っていたため(言い訳にならない?)、40軒ほど回るのが精一杯でした。

午後6時に挨拶回りを終え、一路、津山市へ。
午後7時からの「岡山県建設労働組合津山支部」の4月定例会に出席し、冒頭、ご挨拶をさせていただきました。建設労働組合さんには昨年夏の参議院選挙で大変お世話になっており、今月、江田事務所の秘書が各支部を回り、ご挨拶させていただいております。津山支部は一箇所で開催するため、100名近くの組合員の方がおられました。こんなチャンスはめったにないと思い、会が始まる前に全員に名刺を配って回り、しっかり自分のPRもさせていただきました。挨拶では、昨年のお礼だけでなく、「政権交代に向けた次の衆議院選・参議院選こそ天王山であり、再度力をお貸しいただきたい」とお願いしました。

この会は冒頭挨拶だけでしたので10分で退席。今度は一路、真庭市久世へ。
午後8時から始まる「真庭ニューピオーネの会」の第三回会合に出席いたしました。本日も、会のメンバー(真庭市議選の候補者の方々)のほか、草苅県議や、連合美作地協の平尾議長他多数のオブザーバーが参加されていました。関係者の皆さんの「真庭ニューピオーネの会」に対する期待の大きさが伺えます。会議は本日で最後とし、後は選挙で頑張るのみです。私からも江田事務所を代表して、「江田事務所としても、この会は、日頃大変お世話になっている議員さんと連合岡山さんが中心となっている会なので、全力で応援します」とご挨拶いたしました。

会が終わって、柿本健治さん(前湯原町議)、三村一夫さん(前久世町議)、横山泉さん(民主党岡山県連常任幹事)と談笑していると、もう11時近い時間です。明日も県北の哲西・北房を回る予定なので、今日は久世に泊まることにしました。

駅前に行けばビジネスホテルがあるだろうと思いきや、どこを探してもありません。落合や勝山を探しても無く、途方にくれてタクシーの運転手さんに聞いてみたところ、この時間からチェックインできるのは「真庭リバーサイドホテル」しかないとのこと。リゾートホテルなので多少値段が高めですが、明日のことを考えると野宿するわけにはいきません。背に腹は代えられず、泊まることにしました。久々に温泉の大浴場に浸かり、のんびりしました。
 

2005年4月11日(月)

4月6日のたかい日記で、我が国の歴史認識について、私の意見を述べたところ、掲示板やメール等でたくさんの意見を頂きました。また、4月9日には心配していたとおり、中国で反日デモが行われました。このため、再度、私の意見を追記しておきたいと思います。

今回の反日デモについては、日本国民の安全を守ることが最大の使命である日本政府としては、中国政府に対して、断固抗議し、日本国民の安全を守るため万全を期すよう強く要請すべきであることは言うまでもありません。

しかし、このようなデモが起こってしまった理由は、単に中国政府のせいにするのみでなく、冷静に分析する必要があります。
確かに、今回の反日デモの背景には、
 @ 中国政府の黙認(事実上の先導)
 A 1980年以降の中国の愛国教育(反日教育)の影響
 B 経済発展に伴う中国国内の矛盾(富裕層と貧困層との対立)
等、様々な要因があるのでしょう。これらの要因が、中国国民の反日思想をエスカレートさせていることは否定しません。
しかし、これらの要因が全てで、このような大規模なデモは起こらないと思います。もっと深い、中国人の意識の中に刻み込まれた反日感情が必ずあるはずです。私は何人か中国人の友人がいます。中国でも日本でもドイツでも勉強した仲間たちで、いわゆる知識人と呼ばれる人たちです。残念ながら、彼らの誰一人として「日本はもう十分反省しているよ。中国政府が言い過ぎだから気にしなくていいよ。」などと言ってくれる人はいません。「自分はそれほどでもないが、周りには日本人を憎んでいる人が多い。」という話を何度も聞きました。

戦争とはそういうものなのでしょう。人が人を殺し合い、目の前で肉親を殺された人が大勢いるのですから。
「これ以上自虐的な歴史を教えるな」と言う人たちは、おそらく、「中国人は怒りすぎだ。日本は十分反省し謝罪もしたじゃないか。これ以上何をすればいいんだ。」と思っているように私には思えます。また、彼らはこうも言います。「南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦などを教えるから自国に誇りを持てない若者が育つのだ」と。しかし、本当にそうでしょうか?そんな教科書の記述を書き換えただけで「誇り高き若者」が育つのでしょうか?はっきり言って、中学の歴史教科書に何が書いてあったかなんて私は覚えていません。

もっともっと深い根源的な問題を解決しようと努力もせずに、安易に教科書のせいにすることは全く筋違いだと思います。「日本に誇りを持てない若者」が増えているのは教育全体の問題です。小手先の改革ではどうしようもない深刻な問題です。教科書の記述を変えるとか、教育基本法に「愛国心」を入れるとか、そういう単純な問題ではないのです。真に国を挙げての教育改革が必要なのです。(「真に国を挙げての教育改革」については、長くなりますので、また今度書きます。)

いずれにしても、「教育改革」というには程遠い歴史教科書の記述変更ですが、中国や韓国の人々にとっては重要な問題なのです。彼らの心の琴線に触れる問題なのです。自民党幹部が「歴史教科書に口を出すのは内政干渉だ」、「靖国神社への参拝は日本人の心の問題だ」と言いました。確かに内政干渉であろうし、日本人の心の問題でありましょう。しかし、中国や韓国の人々が、「日本の歴史教科書の記述変更や靖国神社の公式参拝を不快に感じる」ことを、どうして日本人が「おかしい」と言えるのですか。それこそ、彼らの心の問題ではないですか。「日本にはもっともっと反省してほしい」そう思う彼らの気持ちを真摯に受け止め、理解してあげることはできないのでしょうか?そのくらい広い心を持たなければ、どうしてアジア連合などできましょうか。アジア連合ができるか否かの最大の鍵は、「日本が過去の歴史についてアジア諸国が納得できる回答を出せるかどうか」であると思います。これは、国連安保理常任理事国加盟にも同じことが言えると思います。

頂いた全てのご意見、ご質問にお答えできていないと思いますが、長くなりましたので、この辺でやめます。また改めてこれに関連する諸問題については意見を書こうと思います。この問題は議論しても仕方が無いほど、思想信条がはっきり出る問題だと思っていますが、皆さんのご意見も聞かせていただければと思います。

追記 私は、以前、江田五月さんの活動日誌(2002年5月18日:東ティモールにて)を読んで、上記のような考えに至りました。彼女たちからこのような話を直接聞いて、それでもまだ「日本はアジアの人から言われるほど悪いことはしていない。もう謝罪も済んだ。」と言えるでしょうか?彼女たちを目の前にそう言えるでしょうか?こういう話を語り継いでアジアの人々は育ってきたのです。
 

2005年4月10日(日)

本日は、昨晩泊まった大芦高原から、車で40分ほどの旧大原町へ。
岡山市内からだと旧大原町までは3時間近くかかるので、泊まったことにより、かなり時間が短縮できました。途中、岡山国際サーキット(旧TI英田サーキット)や作東町のバレンタインホテルなど、県北の有名な施設を見学し、10時半には旧大原町へ到着いたしました。

旧大原町では、樋元弘一元大原町議が美作市議選に立候補を表明しています。江田議員は昨年夏の参議院選挙で、樋元さんには大変お世話になっており、今度はそのご恩返しです。
旧大原町の大票田である古町地区を中心に、60軒ほどご挨拶回りをいたしました。先週の湯原や、昨日の美作、本日の大原は、いわゆる過疎地域です。高齢化が進み、ほとんどのご家庭はおじいさん、おばあさんばかりです。そのせいか、ご在宅の家が多く、また、不在であっても玄関に鍵がかかっておりません。都会の生活が長い私にはいろいろな意味でカルチャーショックの連続です。

県北を何箇所か回って思うのは、田舎の人ほど、人情的で温かく迎えてくれます。江田五月会の方はもちろんのこと、道行く人にも声をかけると、皆さん「がんばりんせえ。これからは若い人がせにゃおえん。自民も民主も関係ないわ。応援するけん頑張れ。」と励ましの言葉をかけてくれます。若者が地図を見ながら一人で歩く姿が珍しいのでしょうか。過疎地域は自民党の牙城という先入観がありましたが、そんなことは無いと確信いたしました。過疎地域は、住宅が密集しているところが少なく、一日で回ることができる数が限られますが、その分密度が濃く、街中に比べても決して非効率ではありません。

これから1年、2年かけて、県内全ての地域を隅々まで回りたいと思います。田園風景を歩いていると四国八十八箇所巡りを思い出します。歩くのには自信があります。また、おじいちゃん、おばあちゃんとのふれあいは楽しいです。皆さん、自分の孫ほどの若者の頑張りを、目を細めて見てくれます。おじいちゃん、おばあちゃんが孫のような若者を見る姿に、自民党も民主党もきっと関係ないのでしょう。

夕方6時に終了し、一路岡山へ。疲れた状態での3時間のドライブは堪えます。早く泊まることができる家を探したいと思います。(誰か紹介して下さい!)

事務所に帰って溜まった日記を書いています。これからは、泊りがけでの県北行脚が多くなり、日記が毎日更新できそうにありません。毎日楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、ご理解下さい。
 

2005年4月9日(土)

本日は、旧美作町の挨拶回りに出かけました。

美作市議選には、堂よしゆきさんが立候補を表明しております。
11時前に堂よしゆきさんの事務所に立ち寄ると、堂さんの選挙を応援するためにNTTOBの方々が集まっており、私もその会合に出席させていただきました。簡単な自己紹介の後に、江田事務所としても堂さんの選挙は絶対落とせない選挙であり、最重点選挙区として秘書を総動員で応援する旨お話しました。

その後、お昼から60軒ほど、湯郷温泉周辺を中心に挨拶回りに出かけました。この間の湯原温泉といい、温泉街を回ることが多い今日この頃です。(意図はしていないのですが・・・。)

18時に挨拶回りを終え、堂よしゆきさんの事務所に立ち寄った後、一路、旧英田町にある大芦高原温泉に向かいました。ここには「雲海」というリゾート施設があります。

ここで、「岡山・骨髄バンクを支援する会」の骨髄移植のドナー登録目標達成感謝会が、泊りがけでバーベキューを食べながら行われていました。この会の中心メンバーの方を、県庁時代から知っており、一度顔を出さないかと誘われていたので、ずうずうしくお邪魔することにいたしました。

骨髄バンクとは、白血病等の血液難病に苦しみ患者さんのために、骨髄移植(健全な骨髄を持つ方から、骨髄液を採取し、患者さんの静脈に点滴で移植します)をしてもいいという方(ドナー)を登録するものです。日本では、骨髄移植を必要とする患者さんは毎年少なくとも2000名以上、そしてドナーが見つからない患者さんが約2割にもなるそうです。

夜7時頃到着すると、夕方5時半から始まっていた会は、すでにいい感じに盛り上がっていました。笑い声の絶えない楽しい飲み会です。
私の到着後に、初めてのメンバーもいるから、それぞれ自己紹介しようということになりました。皆さんの自己紹介を聞いて初めてわかったのですが、この会のメンバーの多くの方は、肉親を白血病で亡くされていたのです。骨髄バンクが無かった頃の無念や、骨髄バンクへの感謝の気持ちなど、皆さん切々と語られました。先ほどの飲み会での明るい姿とはうって変わって、皆さん話をされました。こらえられずに涙があふれる方もいらっしゃいました。しかし、自己紹介の後は、また楽しく盛り上がりました。生きたくても生きられない人がたくさんいる中で、生きていることに感謝して、悲しみにくれてばかりいても仕方が無い、明るく前向きに生きようと皆さんはしていらっしゃいました。

私は、仕事柄、いろいろな方の挨拶や自己紹介を聞く機会がありますが、今日のメンバーの方の自己紹介ほど、心のこもったお話は聞いたことがありません。皆さん、上手な挨拶をするわけではありませんが、一言一言かみ締めるように話をされました。

最愛の人を亡くすという経験をしたことがない私には、メンバーの皆さんの気持ちを本当に理解することは不可能でしょう。しかし、皆さんのお話を聞いて、居ても立ってもいられない気持ちになりました。自分でも何かしたい、でも何をしたらいいのか、それが何なのか、すぐには答えが見つかりません。しかし、今日この会に参加できたことを幸せに思い、必ずこの経験を活かして生きてゆきたいと思います。政治という仕事でなのか、ボランティアでなのか、その両方なのか、その辺はまだわかりません。これから、この会に参加することを通じてじっくり考えてみたいと思います。
 

2005年4月8日(金)

本日は、午前中たまっていたデスクワークをこなし、お昼前に赤磐市へ。

赤磐市長選は、前吉井町長の荒嶋りょう一さんと前山陽町長の遠藤まさはるさん、前山陽町議の保田守さんの3人の争いです。民主党は荒嶋りょう一さんを推薦しています。

お昼時に荒嶋事務所へ伺ったところ、運良く昼食中の荒嶋りょう一さんにお会いすることができました。ここ旧山陽町も、岡山市のベットタウンで新興住宅地です。本日は「ネオポリス」と呼ばれる団地を回りましたが、スタートが遅かったので、70軒ほど回ったところで時間となってしまいました。

帰りに瀬戸内市役所へ寄り、江田議員から預かっている手紙を立岡市長へお渡ししました。

夜は、民主党の熱烈な支持者の方お二人と食事。
おいしいしゃぶしゃぶをご馳走になりました。また、お知り合いの方も紹介していただき、時の経つのも忘れ、楽しい時間を過ごしました。新たな出会いが広がる毎日に感謝しております。
 

2005年4月7日(木)

本日は、朝9時から夕方4時まで、総社市の江田五月会の皆様に挨拶周り。

総社市久代地区出身の、名木田総社市議に連れ歩いていただきました。
本日回ったのは岡山・倉敷・総社のベットタウンの団地です。サラリーマンや共働きの家庭が多いようで、留守の方が多かったのですが、かなり精力的に回りました。昼食を挟んで、ひたすら歩き続け、130軒ほど訪問いたしました。

夜は、某労働組合の委員長さんほか役員の方3名と、江田事務所の秘書3名とで、一杯やりながら懇談の場を設けました。労働組合とのコミュニケーションの必要性はこの日記でも再三書きましたが、その甲斐があったのか、先方からこういう場を設定していただきました。これからも、連携を密にしていきたいと思います。
 

2005年4月6日(水)

民主党支持者の方から、一通のメールを頂きました。
「国連常任理事国入り、外交オンチの日本にその資格は無い。」

私は、世界第二位の経済大国であり、国連分担金280万ドル(米国363万ドルに次いで世界第二位、全体の約2割)を拠出する日本は、当然、国連安保理常任理事国を目指すべきであり、その資格もあると思っています。しかし、ご指摘のとおり「今の日本にその資格があるのか?」と問われれば、否と答えざるを得ないと思います。

中国、韓国の反対運動は相当な規模で行われています。
同じく常任理事国入りを目指すドイツやブラジルが、周辺諸国であるイタリアやアルゼンチンに反対されているのとは、反対の質が根本的に異なると思います。未だに「歴史を反省しない国」とレッテルを貼られて、市民から湧き起こる反対運動が頻発する(そしてその運動は年々強くなっています)この状況を我が国は厳粛に受け止めなければなりません。(市民の反対運動を中国・韓国の愛国教育のせいにする考え方は、あまりに短絡的です。)

東京都立初の中高一貫校が「日本に誇りを持てる生徒を育てる」ことを掲げて開学いたしました。「日本の誇り」とはなんでしょうか。戦争で犯した罪を認め、反省し、二度と同じ過ちを起こさないことを誓う国家、そういう国こそ「誇りを持てる国家」ではないでしょうか。周辺諸国から「反省しない国」と言われ続ける国家にいったい誰が「誇りを持てる」のでしょうか。

常任理事国はアジアの代表として加盟するのであり、アジア諸国の理解なくしては、例え加盟を果たしたとしても絵に描いた餅です。今後、ますますグローバル化する社会であるからこそ、地域間の連携はきわめて重要であり、アジア諸国との連携は、わが国が如何なる課題よりも優先して進めなければならない最大の課題であると私は思います。

この最大の課題達成を妨害する行動をとる一国の首相がいることが、一国民として不思議でなりません。
 

2005年4月5日(火)

本日は、総社市長選挙の応援に行ってまいりました。

民主党は前職の竹内市長を推薦しています。相手は橋本元総理の元秘書。負けるわけにはいきません。

藤原秘書と分担して、江田五月会の皆様の挨拶回りに出かけました。
私は昭和地区を担当。この地域は、元国鉄OBのSさんが重鎮です。ご一緒に回らせていただきましたが、どの人も顔見知り。さすがです。頼りになる大先輩です。

お昼は、5区総支部代表の花咲ひろきさん、山田秘書、藤原秘書、Iさん、Eさんも合流し、Sさんのお宅の庭で、いのししの焼肉を食べました。猪肉は匂いきついので、鍋(牡丹鍋)しかできない、と思っていたのですが、猪肉は全く臭みが無く、おいしく頂きました。

午後も引き続き、昭和地区を回りました。これからの活動の中心は、こういう訪問活動になってゆきます。ようやく選挙活動を始めたと実感する毎日です。

晩は、連合岡山の幹部の方と勉強会。その後、懇親会に移行し、じっくりと意見交換をいたしました。労働組合も、時代の流れにあわせて、確実に変わってゆこうとされています。「保守や革新」「右や左」という言葉は死語になりつつある昨今、新たな時代の政党と労働組合のあり方も模索してゆかなければなりません。そのためには、意見交換、コミュニケーションが何よりも大切です。
 

2005年4月4日(月)

本日は、真庭市旧湯原町地域の江田五月会の皆様へのご挨拶回りに伺いました。

旧湯原町地域では、柿本健治前湯原町議が新真庭市議選に立候補を表明しています。柿本さんは、「ニューピオーネの会」の中心人物であり、昨夏の参議院選挙でも大変お世話になった方で、何としても当選していただかなければなりません。
旧湯原町地域は、これまで12名だった町議会議員が3名に減り、今回立候補を表明しているのは6人、いずれも現職町議さんです。柿本さんといえども苦しい選挙です。

朝8時に岡山を出発し、10時過ぎに湯原に到着し、午後7時まで「とことん、こつこつ」歩き続けました。旧湯原町は、美作三湯の中でも名湯として知られる湯原温泉で有名な町です。今度来るときには、ゆっくりと露天風呂につかりたいものです。(ちなみに、ここの露天風呂は混浴で、水着の着用が禁止されています。)

午後8時からは、旧久世町で開催された「ニューピオーネの会」の打合せに参加しました。連合岡山からは、清水副会長、岩崎副事務局長、平尾美作地域協議会議長といった蒼々たるメンバーが出席されました。会議は10時半過ぎまで続きました。久世から岡山までは車で2時間。帰ったら12時を過ぎておりました。
 

2005年4月3日(日)

本日は、朝6時に起床し、月初め恒例の「京橋朝市」へ。
昨晩の連合岡山の岩崎さんとの反省会が、深夜2時過ぎまで続いたため、眠気眼でのチラシ配りです。しかし、周りの熱気に、次第に声を張り上げておりました。朝市に来ておられる方々は皆さん民主党への反応がよく、政権交代近しを実感します。
途中、津村啓介さんと秘書さんたちと合流し、また最後は、菅源太郎さん、姫井由美子さんと一緒にうどんを食べました。

その後、10時からの「部落解放同盟岡山県連合会」の研修会及び定期大会に参加いたしました。部落解放同盟の楠木代表とは岡山県庁時代からのお付き合いがあります。私が情報政策課長着任1年目に、インターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に、差別的な書き込みが相次いだ事件がありました。読むに耐えないあまりにひどい書き込みに言葉を失いましたが、現在の法律ではインターネットの匿名性が守られ、誰が書き込みをしたのかはプロバイダは明かす事ができません。国民感情と法律にねじれが生じている一つの例ではないかと思います。少しずつ改善はされているのですが、抜本的な解決策を講じる必要があります。
江田五月さんが来るまでの間の代理で出席したのですが、私にも挨拶をさせていただき、チラシも配らせていただきました。

12時半に事務所へ帰り、自転車に乗り換えてお花見へ。
 日ごろお世話になっている「くうや」が主催するお花見です。まだつぼみの状態でしたが、おいしいバーベキューと若干のアルコールを頂きました。津村啓介さん、姫井由美子さんも途中から合流され、和気あいあいの時を過ごしました。

その後、15時から2時間ほど天満屋前でチラシ配り。
途中雨が降り出しましたが、4月最初の日曜日ということもあり大勢の人手。ここでも存分にPRしました。元気よく「民主党たかいたかしです」と声をかけると、受け取ってくれない人もみな振り向いてくれます。今日は、チラシをお渡しした後、深々と頭を下げ「ありがとうございます」と言うことを心がけました。この光景を見た周りの人は、かなりの確率でチラシを受け取ってくれます。また一つチラシ配り道のコツをつかみました。

18時に事務所に戻り、すぐに建設労働組合の支部集会へご挨拶に。3箇所ほど回り、昨年夏の参議院選挙のお礼と、今後の選挙の協力をお願いしました。

終わってからはデスクワーク。溜まった日記書きやメールへのお返事。明日から回る県北の地図落し(訪問先の住所を地図に色塗りする作業です)等々、いつの間にか夜が更けてゆきました。明日は朝から「おはよう730」と、いよいよ始まる選挙応援活動です。
 

2005年4月2日(土)

朝6時に起床し、船に乗り一路岡山へ。
昨晩は仲間との語り合いが午前2時過ぎまで続きましたから、眠い目をこすりながらの帰岡です。

朝9時前に出勤し、約束していたIT企業の社長さんのお宅を訪問いたしました。

その後、若干のデスクワークをこなし、午後1時半には、午後3時からはじまる「連合岡山・民主党勉強会」の準備へ向かいました。
この勉強会は、連合岡山の岩崎副事務局長(政治担当)と私が幹事となって企画した勉強会です。最近は特に、労働組合とのコミュニケーションの重要性を痛感する毎日だったので、この企画が岩崎さんから提案されたときには、二つ返事で幹事を引き受けました。
連合岡山の森本会長の挨拶では、「労働組合が政党を招いての勉強会は、岡山の歴史上初めてのことであり、全国的にも聞いたことが無い」との評価を頂きました。1〜5区総支部代表(衆議院選挙予定候補者)と各総支部スタッフが総勢17名集まりました。労働組合の基礎知識から、民主党への期待まで、3時間みっちり講義をしていただきました。特に、森本会長の「稲作農耕民族の長所と欠点を理解した選挙戦略を」というテーマで、「日本特に岡山での政治風土、選挙風土を踏まえた選挙戦略を考えてほしい」とご指摘いただいた点は、目から鱗でした。

午後7時からは、今度は民主党が主催での懇親会です。
勉強会とほぼ同様のメンバーがそのまま参加していただき、民主党からは江田代表草苅幹事長森本幹事長代行も出席されました。時にお酒を飲みながらの懇談も、お互いの本音を語りあい、いいものです。そういえば、1月に岡山へ帰ってきて以来、民主党のスタッフ同士の懇親会も開いたことなく、本日は民主党同士の結束を深めるためにもいい会合になりました。

大勢で二次会まで行ったあと、最後は岩崎さんと二人だけで反省会。
岩崎さんは、連合岡山の政治担当の副事務局長ですが、大変優秀で頼りになる方であり、森本会長からの信頼も絶大な方です。今後も、岩崎さんと連携を密にして、これからの選挙を闘って行きたいと思います。
 

2005年4月1日(金)

本日、午前11時からの「岡山空襲平和資料館(通称:へいわかん)」の開館式に出席いたしました。

招待状は特に無かったのですが、羽場頼三郎岡山市議から情報をキャッチし、押しかけて行きました。岡山市長をはじめ、県議会議員や市議会議員が多数参加しておりましたが、その中で、来賓として「江田五月参議院議員秘書の高井崇志さん」と紹介もしていただきました。やはり何でも顔を出してみるもんです。
岡山市は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月29日未明、午前2時半から約1時間半にわたり、米軍B29の空襲を受けました。投下された焼夷弾は9500発、883トンにも及んだそうです。この空襲により、岡山市街地は一面焼け野原となり、1700名を越す市民の命が奪われました。草木も眠る丑三つ時といわれる時間に、突然の爆発音。その恐ろしさはいかばかりであったでしょうか。展示されている写真や日記を読めば、その凄惨さは想像がつきます。このような悲劇を二度と繰り返さないことこそ、世界中の政治家の最大の使命であることは言うまでもないことです。

午後は労働組合への挨拶回りに備前へ。
産業別労働組合は、ほぼ一通り挨拶回りを終えましたが、どこの労働組合でも好意的に受け入れていただきました。岡山県の民主党と労働組合との過去のいきさつはいろいろあったと聞いておりますが、政権交代に向け、「小異を捨て大同につく」の精神で、一致団結して闘って行けることを期待しています。

晩は笠岡の「高島」へ。笠岡港から船で10分ほどのところにある小さな島です。
県庁時代の3年間、毎年職場の仲間との送別会をこの島の旅館「カーサタケダ」で開催しており、退職した私に今年も声をかけていただきました。「カーサタケダ」で出されるお刺身、カニ、シャコはいずれも活きが良く絶品です。懐かしいメンバーとの懇親を深めながら、夜が更けるまで舌鼓を打ちました。
この日記には既に何度も書きましたが、私がこういう立場になってからも、懐かしい仲間たちと一緒に和気あいあい語りあっている時が、岡山に戻ってきて本当によかったなあ・・・と思える瞬間です。ありがたいことだと思っています。