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2005年1月31日

 本日は、予告どおり「県庁前朝街宣デビュー」を果たしました。
 
 朝7時半から
8時半までの1時間。津村啓介さんと二人でやりました。
 最初は津村さんと半分づつ話をする予定でしたが、津村さんからの「今日は高井さんが思いっきりやってください!」という言葉に甘えて、ほとんどの時間を私がしゃべらせていただきました。
 
 前の晩に、何をしゃべろうか考えていたのですが、やはり予想通り、その通りには話はできませんでした。
 でも、旧知の県庁の方々の顔を拝見し、「がんばれよ」と声をかけてもらったり、立ち止まって聞いて下さる方々がいると、自然と気持ちが高揚してきて、大きな声を張り上げていました。以下にこんな内容のことをしゃべったというメモを残しておきます。
 
 それにしても、津村さんのフットワークの軽いこと。
 国会議員に私ごときのチラシを配ってもらえる、それだけでも感激なのですが、信号待ちしている車の中から、自転車に乗っている人を止めてまで、チラシを配ってくれました。反対側で信号待ちをしている人には、横断歩道を走って渡ってまで配ってくれました。
 津村さんの選挙運動のすごさはいろいろ聞いておりましたが、実際に目の前で見て、本当にすごいなあとあらためて感心しました。
 余裕をもって用意した300枚のチラシが1時間でなくなりました。駅前などと違い、人通りがまばらな県庁前ですから、これは驚異的な配布枚数です。
 今度、津村さんが演説されるときには、私が津村さんのチラシを300枚配ります。
 津村さん、今日は本当にありがとうございました。
 
 私が目指す政策は、県庁や市町村役場などの行政職員の方々に是非聞いて欲しいものであることに気づきました。今後は、県庁だけでなく、市町村役場でも、今日と同じように、私の経験に基づいて、民主党の政策を訴えてゆきたいと思います。
 また、県庁の皆さん、これからも立ち続けますので、宜しくお願いします。
 
 夜は、ルース・スレンチェンスカさんのラストコンサートを聴きに行きました。
 ルース女史は80歳の伝説のピアニストです。
 ラフマニノフ、コルトー、シュナーベル、バックハウスなどの巨匠に学び、ホロヴィッツが尊敬していた世界的ピアニストです。作曲家としてのラフマニノフ、ピアニストとしてのバックハウスの大ファンである私としては、どうしても聴き逃せないコンサートでした。
 80歳のおばあちゃんが、あれほど情熱的に力強く、そして美しく演奏される。人間というのは常識では計り知れないパワーがあるんだなあ、とつくづく感じました。
 
 35歳の私は自分で限界など作ってはいけない。常識で物事考えてはいけない。素晴らしいピアノの音色以外にも、たくさんのことを考えさせてくれる演奏でした。
 岡山でこのような名演にめぐり合えたことに感謝しています。また一つ岡山へ帰ってきて良かったと実感する出来事が増えました。
 

朝街宣デビュー・IN・県庁前(要旨)

 「岡山県庁で3年間お世話になった高井崇志です。11年9ヶ月勤めた総務省を昨年末に退職し、民主党から政治の道を志す決意をいたしました。今日は民主党の衆議院議員津村啓介さんと、岡山へ帰ってきてはじめての朝のご挨拶を、この思い出の地、県庁前でさせていただいております。
 私は県庁で働いているうちに、今の中央省庁、霞ヶ関のあり方に大いに不満を感じました。
 今の小泉内閣の三位一体改革を皆さんはどう評価されているのでしょうか?わずか3兆円程度の補助金廃止もできず、しかも義務教育費のように使い道が限られた補助金を移管されても何も変わりません。義務教育費を削って他の事業にお金を回せるわけがありません。そんなまやかしの三位一体改革で、地域主権などできるはずがありません。自民党政権である限り、この先何年待っても、せいぜい4兆円か5兆円でしょう。
 民主党は、マニフェストではっきりと「18兆円の補助金を廃止し、地方に税財源委譲する」ことを公約しております。
 国の補助金が、どんなに使い勝手が悪いか、無駄が多いか、皆さんが一番よくご存知でしょう。霞ヶ関の論理で様々な制約がある。補助金をもらえば、借金もできる。だから自分たちのお金は一銭もかからない。そんな仕組みだったら、誰だって必要も無い事業にお金を使ってしまうでしょう。国・地方の借金は770兆円にも達しています。国は地方に任せていたらもっと借金が増えると言っています。本当にそうですか?借金がここまで増えたのは、中央と地方の仕組みが悪いのです。補助金の仕組みが悪いのです。その仕組みを変えるためには、政権交代しかありません。
 民主党には政権担当能力がないと言われます。では自民党にはその能力があるのですか?こんな大事な改革、しかし、やろうと思えばすぐにでもできる改革を実行できない自民党に政権担当能力があるのでしょうか。
 民主党には、行政経験もあり、改革の志を持った若者が続々と集まっています。政権担当能力がないなんて決してありません。必要なのは、やるのか、やらないのか、それだけです。
 私たちは、必ず真の地域主権を実現します。そのためにご協力を宜しくお願い致します。」

2005年1月30日

 本日は、「江田五月会新春パーティー」の日です。
 江田事務所では一ヶ月以上に渡り、この日に向けて準備を進めてきました。
 私も途中からですが、企画・運営に携わってきましたので、無事滞りなく進められるのか、大変心配でした。

 パーティーの前に、12時半から、参議院第1総支部(通称「江田支部」)の幹事会が開かれました。江田五月参議院議員を支えるコアメンバーの方々が集まる会議です。私は司会進行の大役を仰せつかりました。
 江田代表、森本幹事長から、本年の活動に向けた力強い発言がありました。
 江田支部では、選挙は終わったばかりですが、次の衆議院選挙、そして2年半後には必ず来る参議院選挙に向けて、全力で支援することが決議されました。次の参議院選挙の候補者は、参議院第2総支部長になるのですが、まだ決まっておりません。相手は片山虎之助自民党参議院幹事長(前総務大臣)という強敵ですが、決して勝てない相手ではありません。いや、政権交代を実現するためには、何としても勝たなければなりません。早期に候補者を決めようということも併せて決議されました。

 パーティーは14時からはじまりました。私は司会者の横で全体の進行管理の役です。
 会場は予想をはるかに上回り、約800名の皆さんに参加いただきました。ありがとうございました。

 残念ながら、スタッフとして動き回っていたため、猪口邦子教授のお話はほとんどお聞きすることができませんでしたが、周りの人からは大変分かりやすくて良かったとの評価をいただきました。

 懇親会は15時20分からです。
 来賓の方が来られなくなったり、早く帰られたり。メッセージは何を読むか、余興や1分スピーチをいつはじめるか等々。進行管理は気を使います。こういう気分は、結婚式の司会をつとめたとき以来です。(これまで友人の結婚式の司会を3回やったことがあるのが、私のプチ自慢です。)

 事務所の新スタッフ紹介では、江田五月さんより、過分なご紹介をいただきました。
 また、800人の参加者の方に私のチラシまで配っていただきました。(チラシはこちら(PDF)
 今日一日で随分「たかいたかし」を知ってもらったと思います。

 17時のパーティー終了後、江田五月さん、津村啓介さんとともに、倉敷のチボリ公園へ向かいました。古市けんぞう倉敷市長のパーティーが17時から始まっていましたので、時間を節約するため、江田さん、津村さんには電車で移動してもらいました。電車の中の江田さんを見て、回りの人たちがちょっとびっくりしておりました。

 帰りも電車です。風邪を引いて熱のある江田五月さんには大変申し訳ないことをいたしました。
 江田五月さんは最終の新幹線で上京なので、その前に、江田五月さん、江田京子さん、津村啓介さんと京子さんのお友達お二人と6名で夕食をともにしました。
 その後、皆さんをご自宅までお送りし、ようやく今日一日が終わりました。長い長い一日でした。

 2月からは、いよいよ新たな活動を開始いたします。
 民主党が政権を獲るためには、今までの活動では目的は達成できません。
 今考えている活動については、また別の機会に書かせていただこうと思います。
 今日は久しぶりに早く寝ます。

2005年1月29日

 NHKの海老沢会長が辞任しました。ようやくか、と思ったのも束の間、顧問に就任するという報道がありました。何を考えているのか!と思っていたら、やはり、全国から苦情が殺到し、早くも辞任となりました。

 私は学生時代にNHKの受信料集金のアルバイトをし、勤めてからも放送行政に携わってきたので、この問題には人一倍思い入れがあります。

 NHK受信料集金のアルバイトは、大学1年生の夏から卒業するまで4年間、ずっと続けました。正確に言うと、集金ではなく契約です。不払いの人を回って歩いて説得し、払ってもらう仕事です。完全歩合制で、1日6時間仕事してゼロ件の日もあれば、30分で8件契約が取れるという日もありました。

 あの手この手で説得する仕事は、まさに営業そのものでした。時には、相手が怒り出し、パンツ一丁のおじさんに包丁を突きつけられたり、ヤクザの事務所で日本刀を振り回されたり、そっちの気のある男性に手を握られたり…いろいろな経験をいたしました。
 だいたい1日に100軒訪問し、4〜5件契約を取る、というくらいのペースだったと思います。

 そういう経験をしていますので、今回の海老沢会長辞任問題で、集金スタッフの方々がどれだけ苦労されているか、その怒りがどれほどのものか、想像できます。
 大きな組織になると、幹部は、なぜこうも現場の気持ちがわからないのか。なぜ現場の気持ちがわからない人たちが出世するのか。日本社会の仕組みそのものに問題があるように思えてなりません。

 政治も行政も企業も皆同じです。必ず現場の目線、現場の気持ちを分かろうとする人達はいます。そういう人達が表舞台に立つ、そういう社会を早く作らなければなりません。政治こそ、その一番手として率先して取り組むべきでありましょう。

2005年1月28日

 本日も終日挨拶回りと江田五月新春パーティーの準備。

 企業経営者の方が多く、
「自分も立場上、表向きは自民党だけれども、今の小泉総理は本当にひどい。国民を馬鹿にしている。次は民主党が勝つんじゃないか。君みたいな志のある若者に早く政治を、そして岡山を変えて欲しい。個人的に応援するよ。」
 そんな声をたくさん聞きます。

 ようやく挨拶状も書き終わり、読んでいただいた全国の方々から激励の電話やメールを頂きます。
 特に、予想もしなかった方から、
「ちょうど民主党を応援したかったんだ。全面的に応援するよ。」
 という電話やメールを頂き、とてもうれしいです。

 確実に時代は動いていると確信する毎日です。

 いよいよあさっては江田五月パーティーです。
 大勢の民主党支持者の方が集まる会合であり、準備万端整えなければなりません。
 企画担当者として、残り二日全力で頑張ります。

 また、来週月曜日(31日)には、いよいよ朝街宣デビューいたします。
 私の出発点である県庁前で、7時半から8時半まで、津村啓介さんと二人で演説します。
 衆議院議員の津村さんが、私のチラシを配ってくれるそうです。
 今から楽しみです。

2005年1月27日

 本日は朝10時からの岡山県保育研究大会に江田五月さんの代理で出席。
 500名の保育士さんの集まりでした。若い女性の保育士さんが多く、これからの日本がどうなってゆくのかは、ここにいる方々の役割が大きいなあと感じながら、皆さんの顔を眺めていました。毎日子供たちに接している皆さんの顔はとても輝いて見えました。

 今の日本はもはや小手先の改革では、どうしようもないほどに病理が進んでいます。
 霞ヶ関の色々な省庁の同期と一杯飲んだ時に、「もう一度省に入りなおせるとしたら、どこに入るか」という話になったことがあります。その時、多くの同期が文部省に入りたいと答えました。
 その理由は、皆、すでに今の霞ヶ関の限界を感じ、ここ数年の改革では何も変えられない無力感を感じており、もはや次の世代の子供たちに託すしかない、そのためには何よりも子供たちを育てることが大切だ、そんな理由でした。
 私もまったく同感でした。学校現場を知らない霞ヶ関の文部官僚がその任にあたるのがいいかどうかは別として、今何よりも大切な政策は「教育」だと思います。

 夕方からは、森本事務長、伊原事務長代理、私の3人で今後の江田事務所のあり方について打ち合わせを行いました。森本事務長から秘書団の任務のあり方、意識の持ち方等に厳しい注文がありました。
 来るべき衆議院選、参議院選を戦い、政権交代を実現するためには、今ある組織を維持するだけではだめで、県内各地に散らばる地方議員や地域活動家を見方に引き入れ、組織的な活動が必要との指摘を受けました。また、衆議院各総支部との連携も、もっと強化すべきとも言われました。 
 私も全く同意見です。全て私の任務であり、自分の責任の重さに身が引き締まる思いです。ただ、同時に、それぞれの選挙区担当の秘書との協力なくしては成し得ない大きな課題でもあります。

 今後も、江田事務所秘書団は一致団結して頑張ります!

2005年1月26日

 本日は朝10時半からの岡山県老人クラブ大会に江田五月参議院議員の代理で出席しました。
 10分ほど前に会場へ着くと、入り口付近で東京に居るはずの津村啓介さんが街頭演説をしており、びっくりしました。この会に出るためだけに、昨晩岡山へ戻り、今日の昼の新幹線でまた東京に向かいました。

 老人クラブは県内で3000以上もあり、本日の大会はこれら老人クラブの連合会が主催するものです。会場の岡山市民会館には1500名の方々が詰め掛けており、来賓も知事をはじめ、県議会議長、市長会副会長、町村会会長など多数いました。しかし、国会開会中(衆議院は休会日)ということもあり国会議員の出席は津村衆議院議員だけでした。

 津村さんは来賓の一番手で、国会議員を代表しての挨拶です。
 1500人の聴衆の前で、並み居る来賓の方々を前に、またまた私のことを紹介してくれました。

 「江田五月議員の代理で来ている井崇志さんは、総務省のキャリアで、岡山県庁で情報政策課長まで務めた男です。今までなら自民党に入るような経歴の人ですが、民主党に来ています。先日、その井さんが書いた書き物(1月18日の活動日誌参照)を読んで、目からウロコが落ちました。政治家は、上から政策やビジョンを語るのではなく、国民の皆さん一人ひとりを回り意見を聞いて歩いて、それを集約するのが仕事だと、彼は言うのです。人生の大先輩である皆さんの意見を聞いて歩く、そういう活動をこれからも続けたいと思います。」

 ただの紹介でなく、私のHPの活動日誌まで引用してのコメントに、本当に感動を覚えました。更に、津村さんの挨拶で感動的だったのは、最後の一節です。

 「ただし、政治家は夢を語ることも必要です。最後に私の夢を語って終わります。
 皆さん、日本はそんなに情けない国ではありません。日本は世界中で尊敬されている国です。これまで平和を守り、豊かな生活を築き上げてきたことに対して、世界中の人は尊敬の念を持っています。その日本が、今、世界で最も少子高齢化というピンチを迎えている。世界中の人がこのピンチをどう乗り切るのか見ています。ぜひ皆さんと力を合わせて乗り切りましょう。
 小泉総理は郵政民営化ばかり言っていますが、本当にこれが皆さんの望んでいることですか。年金、福祉、介護、子育て…もっと大切なことがたくさんあるじゃないですか。それをほったらかしていいんですか。僕はそう思います。」

 私もこの言葉には共感しました。確かに日本は尊敬されていると思います。少なくとも以前は尊敬されていました。私が学生の頃は、欧米の大学が皆日本の経営方式を学び、アジアの学生は皆日本に留学しました。今だって、アジアの多くの学生が日本に来ています。

 それなのに、日本の若者は皆、「日本なんてやだよね」「かっこ悪いよね」などと言ってすぐに海外へ行ってしまいます。日本に住む我々もどこか自分たちを卑下しているような気がします。
 我々政治家は、国民の皆さんに希望を持ってもらい、誇りを持って生きてゆけるような社会を作ること、これは全ての政治家に共通の使命でしょう。それをずばり指摘された津村さんにはまたまた頭が下がりました。

 「公式な会合の場で、政党演説のようなことをするな」というお叱りをされる方もいるでしょう。しかし、私は津村さんが話している間の会場の方々の眼を見ていました。ほとんどの方が聞き入っていました。多少の無礼を承知で、熱心にこの国の将来を憂いて語る若者の主張を。自分の孫ほどの年の若者の熱い思いを、他のどの方の挨拶よりも真剣に聞かれておりました。来ていただいた1500人の方々は満足されたのではないかと思います。

2005年1月25日

 本日は我らが親分江田五月参議院議員会長が、参議院のトップバッターとして代表質問を行いました。

 前日に、岡田民主党代表の質問に対し、小泉総理の不誠実な対応があっただけに、今日の答弁が注目されましたが、小泉総理は相変わらずの答弁でした。
 就任直後の小泉総理は官僚が作った答弁書を読まず、自分の言葉で答弁し、国民から拍手喝采を浴びました。国会での白熱した討論は、二大政党制の元祖イギリス議会をほうふつさせるもので、日本の政治が変わる予兆がありました。
 ところが、最近の小泉総理はこれまでの自民党総理と同じく、官僚作成の答弁書の棒読みです。もうすっかりやる気を失い、最近はもうヤケクソになっているような気がします。

 皆さん、国会答弁がどのように行われているかご存知でしょうか。
 国会で質問する時は、質問者はあらかじめ質問内容を相手に提出します。これは不勉強な大臣が多いため、質問内容を事前に示さないとまともな討論にならず、質問する意味がないからです。少しでも中味のある議論をし、前向きな答えを引き出そうという気持ちから、そうしているのです。

 しかし、私はこれが結局マイナスになっていると思います。
 事前に分かれば、大臣は必ず官僚に答弁書を作成させます。(というより、ずっと昔より、官僚が必ず答弁書を書くことになっています。)
 官僚は前例主義ですから、自ら決して前向きな答弁書は作成しません。ほとんどの場合、過去に答弁した内容を調べてそれと同じことを書くだけです。
 特に野党議員に対しては徹底しています。野党の得点になるような前向きの答弁をすれば、すぐに自民党議員に怒られ、意地悪されますから。いかにあたり障りの無い答弁書を書くかどうかが、官僚の腕の見せ所です。こういう能力に長けた人が出世してゆくのです。結果として、答弁は無味乾燥になります。答弁書に書いていないことを大臣が発言すれば、官僚たちは慌てて、大臣に「ご説明」と称してああだこうだ言いますから、大臣も余計なことは言うまいと、自ずと答弁書の棒読みになります。官僚は自分達の言うことを聞いてくれる大臣にはとことん尽くしますから、大臣も官僚の言うことを聞いているほうが得なのです。

 こんな悪しき慣習を変えようとしたのが小泉総理だったのです。
 官僚が書いた答弁書を無視し、自分の言葉でしゃべり官僚を慌てさせた就任当時の小泉総理はかっこよく見えました。官僚の中にだって、こんな無味乾燥な答弁書きたくない人もたくさんいます。そういう官僚達は、心の中で拍手喝采していました。これからは大臣が自分の言葉で答弁してくれるようになる、大臣のリーダーシップの下で行政が動く本来の姿になるのだ、と。しかし、それは幻想に過ぎませんでした。

 民主党が政権を獲ったら、絶対に答弁書の棒読みなんてしません。当選回数順に大臣になる自民党と違い、政策能力に長けた人物が、影の内閣を作り、今から政策を磨いています。
 政権交代によりはじめて政官の癒着構造が断ち切れ、思い切った、真に国民に目を向けた改革ができるのです。官僚が慌てるような改革をやらない限り、この国に未来はありません。

 この国の未来のために、私はこれからも官僚批判をします。何でも包み隠さずお話します。そのために私は総務省を辞め、政治の道を志したのですから。

2005年1月24日

 本日は昨夜の興奮冷めやらぬまま、「おはよう730」へ。
 睡眠時間1時間ですが、不思議と元気です。徹夜明けのハイな状態なのか、時尾選挙の喜びのせいなのか。
 今日は岡山駅ダイエー前です。ここは県庁に通う方が通るスポットなので、大勢のかつての上司・同僚たちに会いました。皆さん、県庁時代に机に座っている私とは違う姿に目を丸くして、「大変だろう」と声を掛けられましたが、「いえいえ、楽しいですよ」と答えました。目標がある人生は、どんなに辛くても楽しいものです。

 いつもの喫茶店で朝食を食べ、9時に事務所に戻ると、時尾選挙の指令塔を務めた上西庸雄さんがいらっしゃったので選挙のお祝いを申し上げました。普段あまり笑わない上西さんも今回は会心の笑顔でした。今回の選挙はいろいろな勝因があったと思いますが、上西さんの卓越した選挙戦術が大きな勝因の一つに挙げられます。本当にご苦労様でした。

 9時半には水島に向かい、時尾選挙事務所の後片付け。
 一日で撤去するのはなんだか夜逃げするみたいでしたが、事務所がそういう契約だそうで仕方がありません。学生時代に引越しアルバイトをして以来の久しぶりの重労働でした。

 途中、一緒に手伝った、柚木事務所の服部太平さん、江田事務所の小林孝徳さん、清水俊平さんと児島の天下一品ラーメンへ。そこで今回の時尾選挙の勝因をいろいろ分析しました。
 当初、大苦戦が予想されていただけに、本当に誰もが思いもしなかった圧勝でした。いろいろな勝因が重なったものと思われます。もちろん、一番は本人、そしてご家族、そして周りで支援した大勢の方々の努力の賜物でしょう。また上述したとおり戦略がうまくいったこともあります。
 これに加えて、私は民主党に対する期待感、そして若い世代に対する期待感の表れだと思います。市議会議員選挙ではほとんど無いと言われる浮動票。しかしこのわずかな浮動票の大部分が時尾さんに集まったのでしょう。これを我々民主党は厳粛に受け止めなければなりません。勝ったといって喜んでばかりはいられません。この勝利を必ず次の国政選挙につなげなければなりません。時尾さんには、これまで以上にこまめな日常活動を熱心に続けていただき、来るべき国政選挙において大きな戦力となって頂ける事を期待しています。

 民主党公認で、しかも28歳の若者が倉敷市議会議員になる。本当に素晴らしい第一歩を踏み出しました。ぜひ頑張って下さい!

2005年1月23日

 本日は一日23時間のハードな一日でした。

 6時半に起床。早めに事務所へ出て、溜まっている挨拶状書きやデスクワークをこなしました。

 10時から江田五月さんに随行して、両備運輸労組の定期大会に出席。労働組合の組織・構成や主張などについては、まだまだ勉強不足なので、これから勉強してゆきたいと思います。本日の大会も傍聴させて頂き、勉強になりました。

 12時から日本郵政公社労組(JPU)東備支部の新春旗開きに出席。私は郵政省出身なので、江田五月さんの挨拶の中で皆さんに紹介していただきました。私が長岡郵便局副局長だった旨、紹介していただいたのですが、その後皆さんの席を回ると、皆さん岡山長岡郵便局と勘違いされていました。私が勤務していたのは新潟県の長岡郵便局です(今、新潟の長岡郵便局は中越地震で大変です)。

 15時からは、久世町の三村一夫町議を訪ね、一緒に挨拶回りをさせてもらいました。藤木久世町長のお宅にもお邪魔し、久世町の状況や、県北の風倒木の被害についてお話を伺いました。

 16時からは落合町で、真庭五月会の新年会。ここでも、江田五月さんから過分なご紹介をしていただきました。普段、県北になかなかご挨拶に伺えないので、支持者の方が一同に会するこういう機会は絶好のチャンスです。真庭の町村議会議員さんに郵便局出身の方が何人かおられ、話が弾みました。

 17時半に落合町を出発し、江田五月さんを岡山空港に送り、岡山市内へ帰りました。

 19時からは県庁時代の仲間と一緒に立ち上げ準備を進めているNPO法人設立の打合せ。
 名称は「
CAO(コンテンツ・アライアンス・おかやま)」といいます。岡山の情報化を一層進めるためにはコンテンツ(情報の中味)の充実が大事です。このNPOでは、民間主導で映像コンテストを企画したり、フィルムコミッションといって映画ロケ誘致活動をしたり。将来的には岡山で国際映画祭を開催するのが目標です。夢は大きくいきましょう!

 20時半に中座して、倉敷の市議会議員選挙に立候補している時尾博幸さんの事務所へ。
 「大変厳しい選挙。残り一名を三人で争う選挙。」との事前予想だったのですが、蓋を開けてみると圧勝。予想より1000票以上も多い、3986票を獲得しました。10時過ぎにはマスコミ各社が集まりだし、早くも「当選間違いなし」と耳打ちしてくれました。11時には当選確実の報が出て、本人が事務所に現れ万歳三唱です。
 何ヶ月も前から準備された皆さんやお母様・妹さんの涙涙。そして本人が長い長い間深々と頭を下げ、涙の挨拶。選挙の経験が初めての私にとっては全てが感動的でした。何年後に自分もこうなれるだろうか、と密かに自分の姿を映したりもしました。本当に当選できて良かったです。やはり選挙は勝たなければいけません。時尾さん、そしてこの選挙を支えた支持者・スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

 24時からは、時尾さん以外にも民主党を応援してくれる友好議員さんがいますので、そのお祝いに。江田五月さんは上京中なので、奥様の江田京子さん、津村啓介さん、そして衆議院4区(倉敷市が選挙区)予定候補者の柚木みちよしさんと一緒に倉敷市内を10数箇所回りました。遅い時間にもかかわらず、皆さん盛り上がっており、歓迎していただきました。
 全て回り終わったのは4時近く。その後、京子さん、津村さんを送り、自分の家に着いたのは午前5時過ぎ。今日は本当によく働きました。

 明朝は「おはよう730」です。私が担当なので、朝6時半には起きなければなりません。
 忙しい日々が続きますが、気力は充実しています。これからも頑張ります。

2005年1月22日

 昨日の小泉首相の施政方針演説の「郵政民営化」が新聞紙上を賑わせています。
 私も郵政省出身として、この問題には黙っていられません。

 1 

 なぜ郵政民営化が今この時期のメインテーマなのでしょうか。国民のどこの誰が望んでいるのでしょうか。それは望んでいる人も多少はいるでしょう。しかし、この国家存亡の危機を迎えつつある今この時期に、なぜそこまでこだわるのか。昔から言い続けているから、意地になってやっている、そうとしか見えません。他にもっと国民生活に直結する大事なことがいくらでもあるじゃないですか。こんな問題が国会審議の最重要事項なんて納得できません。

 2 

 小泉首相は「郵政民営化の最大の目的は350兆円の郵貯・簡保資金を民間に流すことだ」と言っています。しかし、それはいわゆる「出口」の改革です。非効率な特殊法人に郵貯・簡保資金が流れることをやめたければ、財政投融資制度を改革すればいいのです。あるいは特殊法人そのものを改革すればいいのです。特殊法人が悪いのを郵便局のせいにするなどお門違いもいいところです。
 加えて、郵貯・簡保資金が完全に自由になったら、国債は誰が買うのでしょうか。郵貯・簡保資金を国債から引き上げたら、国債は間違いなく暴落します。そのときは日本経済は破綻です。そんなことをして本当にいいのでしょうか。

 3 

 小泉首相は「公務員を減らせといいながら、郵政民営化に反対というのは、手足を縛って泳げというようなものだ」と迷ゼリフ(まあ、施政方針演説なんてどうせ役人がほとんど原稿を書くのですが…)を吐きましたが、果たしてそうでしょうか?
 40万人の郵政職員を一気に民間人にして、それで行政改革を済ませる気なのではないでしょうか。本当はもっと改革しなければならない、多くの行政改革の課題があるのに、全てをこの郵政民営化に押し付けるつもりなのではないでしょうか。こういう表面だけの、数合わせ、つじつま合わせの改革は、もううんざりです。そんなものに郵政民営化を利用するなんて、多くの真面目に働く郵便局員を知っている者として許せません。

 4

 何が何でも民営化が悪いと言っている訳ではありません。将来民営化が望ましいという時がくるかもしれません。しかし、今はその必要性も、時期も、そしてやり方も全てが悪いと言っているのです。確かに国鉄は民営化でサービスが向上したと思います。でも、郵便局のサービスにそんなに国民の皆さんは不満を持っているのでしょうか。そんな不満は聞いたことがありません。サービス競争で勝てない民間の競合会社が不満を言っているだけではないでしょうか。
 加えて今回のやり方の「4分社化」。これが最悪です。「窓口ネットワーク会社」などという実体を伴わず、職員だけを抱えた会社が機能するはずがありません。これは実際に制度設計に携わっているかつての仲間も、これだけは勘弁してくれと言っています。
 小泉首相は、ともかく目新しい改革にしないと気がすまない、自民党の抵抗勢力の主張は意地でも聞こうとしない、そういう意地や面子だけで政治をやっていいのでしょうか。

 小泉首相の内閣支持率がまた50%を超えたそうですが、私には到底理解できません。
 民主党がだらしないからだと言うご指摘は甘んじて受けますが、だからといって小泉首相を支持するというのは筋違いです。
 政治は手法や戦略やイメージではありません。政策の中味で判断すべきです。

 日ごろの思いから、つい熱くなってしまいました。長文お許し下さい。

 明日は倉敷市議会議員選挙の日です。
 民主党はただ一人、28歳の候補者を公認しています。
 このような小泉政権への
NOのメッセージを示さなければなりません。今回の倉敷市議会議員選挙は次の国政選挙に向けて大きな意味を持つ選挙です。
 有権者の皆さん、必ず投票に行きましょう!

2005年1月21日

 今日は津村啓介さんと二人で明け方4時まで飲み明かしました。

 津村さんのホームページで、私のことを紹介していただいた(津村ホームページ:1月17日ひとこと)からというわけではないですが、私のホームページを見ていただいている方で、津村さんを知らない方もいると思いますので、ご紹介します。

 津村さんは2年半前に日銀を退職し、一昨年11月の総選挙で32歳の若さで衆議院議員となった民主党若手のホープです。
 その選挙活動は岡山では知らぬ者はいないほど、徹底したどぶ板選挙を実施した人です。
 津村さんと言えば、必ず返ってくる言葉が「あの雨の日も雪の日も橋に立っていた人ね」という言葉です。
 (余談ですが、某有名女性雑誌の調査で「イケメン代議士ランキング」で堂々の3位に入ったほどの男前です。)

 大学は私が1年先輩になりますが、職場では津村さんが2年半先輩になります。
 何よりも津村さんを尊敬するのは、まだ民主党がそれほど勢いの無かったあの時期に決断し、日銀を退職された勇気と先見の明です。

 津村さんと私は全く違うタイプだなとよく感じます。
 うまく表現するのが難しいのですが、誤解を恐れずに言えば、津村さんは「自分の信念を貫き通す」タイプ、私は「和をもって尊しとなす」タイプです。津村さんが政治家に向いているとすれば、私は向いていないのかもしれません。
 しかし、色々なタイプの政治家がいる方がいいと思います。時にはぶつかり合うこともあるかもしれません。しかし、目指すところが同じであれば、いろいろな意見がぶつかり合う方が、民主党の、そして岡山の発展につながると信じています。
 津村さんは今の私には雲の上の人ですが、これからもどんどんぶつかってゆきたいと思います。

 民主党岡山には、2区津村啓介さんの他にも、1区菅源太郎さん、3区中村てつおさん、4区柚木みちよしさん、5区花咲ひろきさん、といった先輩・同志がいます。
 私は江田事務所で全県を担当することとなっており、5人の候補者の皆さんとの横の連携を構築することが大きな役割です。
 まずはお互い腹を割って話し合える関係を作ってゆきたいと思ってます。
 このホームページでもおいおい皆さんを紹介したいと思います。

 津村さん、もし、お気に触る部分があったら、お許し下さい。

2005年1月20日

 本日は、朝7時半に妹尾駅での菅源太郎さんの朝街宣を見学させてもらいました。
 妹尾駅は岡山市の住宅街で、駅の規模から想像する以上に人通りが多く、これからの朝立ちスポットに有効なことがわかりました。
 これから順次、他の候補者の方々の朝街宣も研究してゆきたいと思っています。
 ちなみに、私の一発目の朝街宣は県庁前でやろうと思っています。私が政治の道を志した原点の場所で、思いっきり自分の想いを話したいと思います。

 11時からは1月30日(日)の「江田五月新春パーティー」について会場となるプラザホテルと打合せ。
 私はまだチケット販売のノルマを達成しておりません。かなり厳しい状況です。
 ぜひ皆さんご協力下さい!!
 井(
t-takai@sumisumi.com)までご一報いただければチケットをお届けに参ります。(パーティーの詳細は下記を参照願います)

 午後からは倉敷を中心に挨拶回り&パーティー券売り。
 県庁時代にお世話になった様々な方にお会いできました。予想外に私が帰ってきていることを知っている人が多く、驚きました。
 実は、昨年の秋から毎週末岡山へ帰ってきていた(10月から11週連続で東京―岡山を往復しました。ちなみに津村啓介さんは日銀を辞める前10週連続往復していたそうで、「負けるもんか!」という変なプライドで往復していました。)のですが、そのことが噂になっていたようです。
 どの選挙に出るのか、はっきりしていないことが、かえって話題になっていたようです。
 話題になるのはありがたいことですし、また話題になるうちが華だと思いますので、旬の今を逃さずに頑張ろうと思います。

 夜は某テレビ局幹部の方々やIT企業経営者の方々が歓迎会を開いて下さいました。
 一昨日は某新聞社幹部の方々が、昨日は某テレビ局幹部の方々が、やはり歓迎会を開いて下さいました。
 県庁での仕事から、このような素晴らしい方々にめぐり合えたことは何よりの財産だと思っています。
 これからもよろしくお願いします。

 

永年在職25年記念 民主党参議院議員会長就任
江田五月会 新春討論&パーティー

 夏の参議院議員選挙では、多くの皆さまのご支持をいただき、ありがとうございました。おかげさまで、激戦を制することができました。全国的にも、民主党は改選議席を大きく上回り、政権交代まで、あと一歩。これからが正念場です。国会議員25年の経験と、民主党参議院議員会長としての役割をしっかり果たしていきます。
 世界に目を向けると、イラク情勢は混迷の一途をたどるばかり。アジアも、中国や北朝鮮との付き合い方が難しくなっています。わが国には、自立した外交や安全保障が必要です。
 そこで、今回のゲストは、猪口邦子さんにお願いしました。猪口さんは、国際情勢と軍縮問題のスペシャリストです。国際社会で自衛隊の果たす役割や国際協力のあり方などを、一緒に考えてみたいと思います。

 多くの皆さまのご参加をお待ちしています。

・と き

 1月30日(日)

 

 

  講演・討論 14:00〜  パーティー 15:00〜
 ゲスト 猪口邦子さん(上智大学法学部教授)

・会 費

 5,000円(一般会費) 10,000円(賛助会費)
 【郵便振替】 01260-7-2373 江田五月会

・ところ

 岡山プラザホテル (岡山市浜2-3-12 TEL 086-272-1201)
 

2005年1月19日

 本日は阪神淡路大震災から10年と3日目です。

 10年目の1月17日に書かずに、なぜ3日目の1月19日に書くのか。これには理由があります(決して書くのを忘れていたわけではありません)。

 ちょうど10年前、私は東京に住んでおり、郵政省電気通信局に勤務しておりました。朝のニュースを見て驚きましたが、神戸には知人もなく、どこか他人事のように見ていました。職場へ出勤すると、職場の仲間もテレビを見ながら、「大変なことになったなあ」と言いながら、普通に通常業務を行っていました。
 2日目になると多少震災関係の仕事が入ってきましたが、まだ通常の勤務体制でした。
 3日目になって初めて非常事態体制に入りました。この日から一週間徹夜で震災対応に追われたのです。

 私自身大いに恥じ入る話であり、あまり話したくはないのですが、役所の本質がこのエピソードに凝縮されている気がして、忘れられない出来事なので敢えてお話します。もちろん、内閣や防衛庁、消防庁などの防災関係部署はすぐに対応したはずですが、全省庁が一丸となって動いたのは3日目くらいからではなかったかと思います。

 災害時の行政の初動体制の遅さや杓子定規な対応は、昨年の災害でもよく批判されました。最近の積み重なる災害により、かなり改善されている面もありますが、国民・市民の生命を守ることは、政治・行政の基本中の基本であり、これを疎かにしての政治・行政はあり得ません。
 私は行政から政治へ転進したわけですが、このことは常に頭の真ん中に置いておこうと思っています。
 過去の失敗は率直に反省し、真に市民のための政治・行政が行われるよう、これからも目を光られていきたいと思います。

2005年1月18日

 本日は毎週恒例の江田事務所事務局会議。週に一度、県内各地に散ばる江田事務所スタッフが集まり、情報交換し、意思疎通を図ります。1月30日に開催される参議院第1総支部幹事会や江田五月新春パーティーの打合せ、江田議員の日程調整等の打合せを行いました。

 午後は挨拶回り。県庁時代から懇意にしていたある経営者の方から貴重なアドバイスを頂きました。
 「自民党支持者も民主党支持者も無党派層も皆今の政治には不満を持っている。そうした不満を一つ一つ聞いて歩いて、情報を収集して、みんなが一番不満に思っていることの解決策を自分の公約にしたらよい。」

 全く同感です。是非やりたいと思います。
 たかだか35年間しか生きていない私に、今の世の中の問題を全て解決できる特効薬など提示できるはずがありません。まずは皆さんが、地域に住む皆さんが、何に不満を感じ、何を望んでおられるのか、それを一つずつ聞くことから始めなければなりません。
 その上で、自分の目指す政策を磨いてゆきます。(当面の自分の政策はこの
HPにも掲げておりますが、これからこれを更に磨いてゆきます。皆さんからの厳しいご意見をお待ちしております。)

  政治家はスーパーマンではありません。政治家がすばらしい方向性を示し、何でも解決してくれる、そういう思い込みは大間違いだと思います。
 政治家は、皆さんの様々な思いを集約し、皆さんの代理としてそれを実行してゆく、それだけの存在です。(もちろん政治家には自分のビジョンが必要です。でもそれは皆さんと一緒に創り上げてゆくものだと思います。)

 人は皆それぞれ社会の中で役割を持ち生きています。どんな職業の方も一緒です。政治家も一つの役割を担う一人の人、一つの職業に過ぎません。
 良くも悪くも政治家が特別な存在に思われている今の風潮を変えなければいけません。
 政治家は「普通の人」でなければいけないと思います。

2005年1月17日

 今日はこのホームページ(特に活動日誌)の評判がいいと聞いて、気分を良くして書いてます。岡山に戻ってきて一番うれしい出来事かもしれません。お世辞でも誉めてくださった方、ありがとうございます。

 今朝は7:30から岡山駅西口での朝街宣「おはよう730」に参加しました。
 今日もチラシの配布係ですが、皆さんの反応はいいです。先週も書きましたが、下を向いて歩いている人に大きな声で「おはようございます」と言って目をしっかり見てチラシを渡すと、びっくりしたようにこっちを見て、受け取ってくれます。そういう方はきっと「なんだろう?」と思ってチラシを読んでくれると思います。
 私も早く朝立ち、夕立ちしたいと思ってますが、その際には、マイク持つだけでなく自分でチラシを配るのもいいなあ、と思いました。ポストへの投函や郵送では決して伝わらない想いが伝わるような気がします。オリジナルな選挙活動をいろいろ考えてみたいと思ってます。

 昼ごはんと晩ごはんはともにラーメンでした。昼は奥田の「琥家」、夜は中央町の「伴」です。「琥家」は博多ラーメンのお店で、お気に入りの店の一つです。博多ラーメン御三家の一つ「一風堂」で修行された店長が2年ほど前に始めた店で、お昼時ともなるといまだに行列ができてます。味も本家に勝るとも劣らず、絶品です。店長さんもイケメンのナイスガイです。「伴」は江田事務所の近くにあって、今日初めて食べに行きました。こちらも大好きなしょうゆとんこつでなかなかの美味でした。趣味「ラーメン食べ歩き」と書いて以来、ラーメンを食べる頻度が多くなっている気がするのは気のせいでしょうか・・・

 仕事もたくさんしましたが、長くなるので今日はこれくらいにしておきます。明日も「政権交代」の実現に向けて頑張ります!

2005年1月16日

 本日は早朝より、ただ一人の民主党公認で倉敷市議会議員選挙の候補者の応援に参りました。
 選挙事務所での出陣式は想像以上に人が集まり活気に溢れておりました。
 寒風吹きすさぶ中、江田五月さんがコートを脱いで挨拶。その後30分以上もコートを着ずに立っておられました。先日の寒中水泳といい、還暦を過ぎた江田五月さんが寒さをものともせずに活動されているのを見るにつけ、政治家は体力勝負だなあ、とつくづく感じます。
 その後我々スタッフは手分けしてポスター張りです。全県から応援が駆けつけ、あっという間に全ての掲示板に張り終えました。この辺は民主党の組織力を感じました。

 午後からは1月30日の江田五月会新春パーティー(猪口邦子上智大学教授と江田さんとの討論会もあります。興味のある方は高井までご連絡下さい。午後2時からプラザホテルです。)の企画書作りや挨拶状書き等のデスクワークに宛てました。

 先日からの挨拶回りで、これまでの総務省・岡山県庁時代の経験を活かしてITコンサルタントをやってくれないか、という依頼をいくつか受けました。
 ITは12年間携わってきた分野であり、特に岡山の情報化は3年間責任者として政策を進めてきただけに強い思い入れがあります。これからも私のライフワークの一つにしようと思っており、喜んでお引き受けしました。
 ITはあくまでも手段であり、目的ではありません。教育・医療・福祉・産業・環境・・・およそ政治が扱う重要分野での活用が期待されています。こうした観点からも、私の政策にも磨きをかけてゆきたいと思います。

2005年1月15日

 本日は「よりしまカキ祭り」に参加しました。
 これは私が県庁時代から参加しているイベントです。岡山県と寄島町は人事交流を行っていることから、その人々が中心となって企画しているイベントで、毎年県庁・町役場の人を中心に50〜60人が参加します。私は県庁を離れましたが、今年も呼んでいただきました。
 寄島カキと、千屋牛のバーベキューを食べるというなんとも豪華なお祭りで、私も今日ばかりは自分のPRそっちのけで寄島カキと千屋牛を堪能いたしました。毎日食べものの話ばかり・・・と怒られそうですが、岡山は本当においしいものが多い。あらためてそう実感できる一日でした。
 県庁を離れてもこういうイベントに呼んでいただけるのは本当にありがたいことです。すばらしい友人達に恵まれたことこそ、私が岡山へ帰ってきた最大の理由です。これからもよろしくお願いします。

2005年1月14日

 本日も終日挨拶回り。自民党支持層の多い企業経営者の方を中心に回りましたが、今日はなかなかの好感触でした。「これまでは自民党応援してきたけど、これからは高井君を応援するよ」と言ってくれた方が何人かいました。
 これは私の県庁時代の付き合いがうんぬんよりも、時代が確実に動いている証拠だと思います。2、3年前であれば言ってもらえなかった言葉だと思います。
 長期政権がもたらす閉塞感を、そろそろ変えなければこの国は本当に危ない、そういう危機感を経営者の皆さんが感じている証だと思います。
 権力は必ず腐敗します。どんなに立派な人たちでも権力の座に長く座れば、必ず堕落します。世界中のどの国でも、大きな改革は政権交代によってのみ成し遂げられているのです。

 夜は江田五月さん、奥様の京子さんと一緒に「鮒めし」を食べに行きました。関東以北で育った私は生まれて初めて食べました。聞いたイメージとは全く違い、泥臭さなど全くなくとてもおいしかったです。こうしたおいしい料理が岡山にはたくさんあることが、私が岡山を永住の地と選んだ大きな理由の一つです(食いしん坊ですみません)。

2005年1月13日

 本日はようやく岡山県庁勤務時代にお世話になった方々への挨拶回りを開始いたしました。総務省を辞める前に何人かの方から「これまでは総務省、岡山県庁の高井だから付き合ってくれたんだぞ。今までと同じように付き合ってもらえると思ったら大間違いだ。」と釘を刺されておりました。もちろんそんなことは分かっているつもりでしたが、実際に挨拶回りを始めてみると、やはりそういう思いを少なからず感じました。特に経済界の方々は自民党支持者が多く、民主党という名刺を見せるだけで嫌な顔をする人もいます。ただ、私はそういう方々を説得して歩くのが自分の使命だと思っています。嫌な顔されても何度でも何度でも足を運んで、政権交代の必要性を訴えてゆきます。自分が経験してきた霞ヶ関の現状を包み隠さずお話すれば必ず分かっていただけると信じています。これからは「三顧の礼」をキーワードに頑張ってゆきます。必ずや、「保守王国」と言われる岡山の人々の心を変えて見せます!

2005年1月12日

 本日は倉敷市議選への立候補を予定しているときお博幸さんの応援に駆けつけました。ときお事務所にはボランティアの方が10名以上駆けつけて下さっており、活気に溢れていました。政権交代を実現するためにはその基盤となる地方議員の数を増やすことが必須であり、何としてもときお博幸さんには勝ってもらわなければなりません。

 倉敷市内を倉敷出身の藤原薫子(かおりこ)さんと一緒に歩きました。藤原さんはNHK岡山放送局の元アナウンサーで、私と同じく1月から江田事務所へ入った女性です。いわゆる同期入社です(年齢は私よりずっと若いです。念のため。)。そして、なんと、藤原さんと私は誕生日が一緒、9月26日なのです。これまで35年間生きてきて誕生日が一緒の人と会ったのは初めてなのでびっくりしました。しかもたった二人しかいない同期です。ただならぬ縁を感じます(私だけかな…)。

 夜は記者さん6名と、菅源太郎さん、小林孝徳さん、藤原薫子さんと一緒に懇親会。最初はなごなごとした飲み会でしたが、夜も更ける頃からは、民主党の在り方をめぐって大激論。日付が変わってから更に2次会に場所を移して、朝まで生テレビを彷彿とさせる大激論になりました。菅源太郎さんは理路整然と厳しい口調で相手を論破してゆきます。お父さんの菅直人さんの国会質問を見ているようでした。本当にそっくりです。とても頼もしい味方で、敵でなくて良かったとつくづく思いました。

2005年1月11日

 本日ははじめての「おはよう730」に参加しました。岡山県庁勤務時代に何度か目にしていましたが、自分が参加することになるとは当時は夢にも思っていませんでした。私は新米ですからチラシを配る役です。チラシを配るコツは、配る相手の目を見ることだと思います。目を見て「おはようございます」と元気に声をかけると、たいていの方は受け取ってくれます。民主党が政権を取るためにはこうした地道な活動がもっとも重要です。私もこれからは、朝立ち、夕立ち、チラシ配り…ともかく何でもやって、一人でも多くの方々に民主党の政策を知ってもらい、何よりも本気で政権交代を目指している姿勢を示してゆきたいと思います。津村啓介衆議院議員は、こうした地道な活動をやった方です。私も毎朝の県庁出勤途中に、何度となく津村さんの演説を耳にしました。街の人は、津村さんが雨の日も風の日も橋の上で演説していることを噂していました。彼ほど熱心に選挙活動した人はこれまでいないと皆が賞賛していました。しかし、それでも小選挙区では勝てませんでした。それほど、選挙で勝つということは厳しいということです。我々はそのことを肝に銘じなければいけません。津村さん以上の努力をしない限り選挙は勝てないのだ、そのことをもう一度かみしめてこれからの活動を頑張ってゆきたいと思います。

2005年1月10日

 本日昼、秘書仲間の小林孝徳さん、清水俊平さんとラーメンを食べに行きました。本日から「タウン情報おかやま」に付いているラーメン半額券が使えるのです。普段なかなか行かない乙多見の「ラーメン若大将」へ行きました。予想以上においしく得した気分になりました。最近のラーメンは本当にどこもおいしくて、まずいラーメンを探すほうが難しくなったような気がするのは私だけでしょうか。ちなみに私が一番好きなラーメンは「天下一品ラーメン」(通称「てんいち」)です。発祥の地は京都ですが、大学時代に東京で出会いました。今ではすっかり全国展開していて、岡山県では児島にお店があります。岡山市内にも早く進出してくれないかなと切望している人も少なくないと思います。「てんいち」のオーナーさん、岡山に進出してくれたら週3回は食べに行きますので、是非進出ご検討のほどよろしくお願いします。

2005年1月9日

 本日は待ちに待った(?)寒中水泳の日です。古式泳法の神伝流が岡山に伝わって100周年ということで、江田五月九段が泳ぐこととなり、元旦に江田さんから「高井君も泳がんか」と言われ、「はい!」と酔った勢いで安請け合いしたのが発端です。この日が近づくにつれ、心臓麻痺にならんかなとか、足つらんかなとか心配になってきました。他の参加者の方は皆さん常連さんで神伝流達人たちです。私は気楽に泳げるのかと思ったら、「数年ぶりに一般参加者が出ました。高井さんです。」と紹介されてしまいました。京橋朝市の後だったので、かなりの観客がおり、ここは男一番、度胸を決めて入りました。緊張していたせいか、それほど寒さを感じずに泳ぐことができました。この経験により、今年はたいていのことには我慢できる、そんな自信がつきました。終わった後の懇親会で「来年も来いよ」と言われ、また「はい!」と安請け合いしてしまいました(反省)。

2005年1月8日

 本日は11時から民団賀詞交歓会と石井正弘知事の新年祝賀会が重なりました。江田五月さんは民団賀詞交歓会を優先。その挨拶は、民団の方々の心をしっかり捉えるすばらしい挨拶でした。江田五月さんの挨拶の仕方はこれからぜひ盗んでゆきたいと思います。

 14時から民主党岡山県連常任幹事会が開かれました。私はメンバーではありませんが、特別に皆さんにご挨拶させていただきました。「行政は12年間携わってきたが、政治の道は初めてであり、一から勉強します」という挨拶をいたしました。

 夜は江田五月さんが大阪へ行かれたため、久しぶりにデスクワークの時間が取れました。江田さんに同行しての挨拶回りと秘書としての各種資料作りの両方をこなさなければならず、なかなか自分の挨拶状書きと自分の挨拶回りができません。また、パソコンがインターネットに接続できずにメールも見ることができません。皆様、もうしばらくお待ち下さい。

 事務所でデスクワークをしていると、大阪から帰ってきた江田五月さんと、政策秘書の江田洋一さん(東京在住)がラーメンを食べに行こうと誘ってくれました。実はつい三時間ほど前にラーメンを食べたばかりなのですが、断りきれずにお付き合いいたしました。博多ラーメンのおいしいお店「博多一番」でチャーシューメンを食べました。お腹がいっぱいで、また太りそうです。その後更に洋一さんと一杯飲みに。明日は寒中水泳なのに。。。

2005年1月7日

 本日は江田五月さんの挨拶回りに同行。そのうちの一つ岡山県農協中央会の村上進通会長は私の岡山県庁時代の直属の上司でした。私が情報政策課長1年目の時の企画振興部長でした。村上さんとご一緒した時代に多くの実績を残せたと思っており、久しぶりにお会いでき、感慨もひとしおでした。

 夜は連合岡山の賀詞交歓会に参加しました。大勢の労働組合幹部の方々にご挨拶する事ができました。その後の二次会にもずうずうしく参加させていただき、皆さんと有意義な意見交換ができました。森本会長、二宮会長代行のお二人は、話の中味もさることながら、リーダーとしてお二人が持つオーラにただただ敬服いたしました。これまで何人かの労働組合トップの方とお話しする機会がありましたが、皆さん共通して人間的な魅力を兼ね備えている方ばかりでした。これからは、ぜひとも一致団結して政権交代を目指してゆければありがたいと思います。

2005年1月6日

 本日は岡山市に住民登録をして参りました。これからは一生岡山に住むんだ、という感慨が改めて湧いてまいりました。選挙は生まれ故郷から出る、それが当たり前のような風潮があります。私も落下傘候補、特に役人の落下傘は嫌いでした。でも、私のように転勤族の息子には故郷がありません。私は生まれた北海道を3歳で離れました。その後も全国を転々としてきました。ですから、ここがふるさとという場所がありません。しかし、今回逆にうれしかったことがあります。それは私がふるさとを自分で決めることができるからです。私は選挙のことよりも何よりも、これから一生住む街という基準で岡山を選びました。これまで35年間生きてきて、一番好きになった街だからです。そしてこの先、一生住み続けたいと思える自信があったからです。私は幸せ者だと思います。そして役人が政治家になるのも悪くないなと思うようになりました。実際に霞ヶ関の悲惨な状況を経験した人間がする霞ヶ関批判が一番説得力あると思うからです。

2005年1月5日

 朝3時に起床し、岡山中央卸売市場の初セリを見学しました。2時間睡眠で参加したため、さすがに眠くて途中ダウンしてしまいました。来年は最後まで参加できるよう頑張ります。

 その後、玉野の新年互礼会に参加しました。津村啓介さんが来賓挨拶の中で私のことを紹介してくれました。民主党に私のような役人を辞めた人間がどんどん集まっています。今までは自民党から政治家を目指した連中が今は皆民主党に入っています。私が総務省を辞める時も、反対する人は幹部を含めて誰一人いませんでした。私の同期達からは皆一様に「うらやましい」と言われました。幹部の方々からは「君のような行政経験のある人間が民主党に入るのは霞が関にとってもいいことだ」と言われました。それだけ今、霞ヶ関は閉塞感で一杯なのです。一刻も早くこうした閉塞感から、頑張っているかつての仲間たちを解き放たなくてはなりません。そのためにどうか皆さんの力を貸して下さい。

 午後は昨年3月まで3年間勤めた岡山県庁であいさつ回りを行いました。石井知事にもお会いし、激励していただきました。石井知事は「情報先進県おかやま」を標榜し、IT政策に力を入れておりましたので、情報政策課長だった私はいろいろな機会で知事に接する機会に恵まれました。平成13年9月に誘致に成功した「東アジアIT国際会議」や、同年11月に岡山県の提唱で開催した「地域からIT戦略を考える会」、平成14年11月に12万人の来場者を集めた「全国マルチメディア祭」の開催など、思い出に残る多くの仕事がありました。

 夜は岡山国際ホテルの新年互礼会に出席しました。ここでも、岡山県庁時代にお世話になった県議さん、市議さん、経済界の方々に久しぶりにお会いし、ご挨拶することができました。

2005年1月4日

 児島の新年互礼会で片山虎之助さんにお会いしました。片山さんは私の前の勤務先総務省の前大臣で、私に岡山県庁出向の辞令を出した方です。私と岡山との運命の出会いを演出してくれた方ですから、その意味では感謝しており、総務省時代のお礼も含めてご挨拶いたしました。片山さんからは「なぜ自民党に来ないのか」と言われましたが、自民党では私のやりたい政治は実現できません。長すぎる権力は必ず腐敗します。世界中でこれほど一党が政権を続けた先進国はありません。そしてどの国を見ても、大きな改革が行われる時には必ず政権交代がありました。政党がお互い緊張感を持って、国民の皆さんに常に選んでいただける、そういう二大政党制を作ることこそが、今日本の政治にも最も必要なことなのです。

 午後はマスコミ各社を江田五月さん、津村啓介さんと一緒に回りました。山陽新聞の載った私に関する記事(1月4日山陽新聞30面)が話題になりました。この記事に書かれている内容はまったくそのとおりで、私が総務省を辞めた理由が書かれています。「国は、地方が欲しくない補助金を勝手に作り、地方が本当に使いたいことにはお金を出さない」、この国と地方との不毛な関係を根本的に改めない限り、この国に未来はありません。このことを一人でも多くの皆さんに伝えるために私は役人を辞め政治家の道を選んだと言っても過言でありません。ぜひ、一度私の話を聞いてやってください。

2005年1月3日

 本日は江田五月邸で毎年恒例の新年会です。江田五月さんの父、故江田三郎さんの時代からの支持者の方々がたくさん集まりました。大亀幸雄さんをはじめとするたくさんの大先輩方から貴重なアドバイスを頂きました。また江田五月さんからも過分のご紹介を頂き、期待に応えることができるよう身が引き締まる思いでいっぱいです。

2005年1月2日

午前中は森本てつまさん主宰のグランドゴルフに参加しました。グランドゴルフははじめての経験で、最初は戸惑いましたが、慣れてくると楽しく、2ラウンドではやや消化不良でした。これからやみつきになりそうな予感です。

午後は江田五月さんと新見の新年互礼会へ。岡山県庁時代に知り合った懐かしい方々にお会いしました。帰岡後、江田五月さんの朝日高校同窓会に飛び入り参加させてもらいました。その後ずうずうしく二次会までついてゆき、河原昭文さんと一緒にお店のカウンターに入って一日バーテンダーをやらせてもらいました。卒業後40年以上の月日が経ってもこんなに仲のよい同級生の皆さんがとてもうらやましく感じました。私は転校生だったので同窓会に出たことがなく、また岡山にも同窓生がいません。でも、同窓生に勝るとも劣らないすばらしい友人達が岡山にいることに自信を持って、これから頑張ってまいります。

2005年1月1日

本日から、政治家「たかいたかし」を目指しての道が始まります。苦難の道であることは十分承知していますが、どんなにつらくても後悔はしません。「動くかとどまるか、迷ったら動くほうを選ぶ」これが私のモットーです。「とどまって」後悔することはあっても、「動いて」後悔することはないと信じているからです。必ず夢を実現したいと思います。

新年は江田五月さん、津村啓介さんらと除夜の鐘をついて始まりました。除夜の鐘をつくのは生まれて初めてです。12番目の鐘をつきました。今年のラッキーナンバーは12になりそうです。仮眠の後、菅源太郎さんも加わって初日の出を見にゆきました。元旦の初日の出を見ることも生まれて初めてです。今年はあらゆる意味で私の人生にとって「新しい年」「再出発の年」になります。今日のこの日の思いを忘れずに、これからの「新しい人生」を歩んでゆきます。