2005年11月
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2005年11月30日(水) 『お粗末な三位一体改革』
政府・与党と地方六団体は、3兆90億円の補助金削減案に合意した。
2年前の小泉総理の公約が、ようやく実現した形だ。
しかし、それも金額をなんとか公約の数字に乗せただけで、中味は地方にメリットの薄いものだ。またしても官僚に骨抜きにされている。
全国知事会会長の麻生福岡県知事が「評価する」とのコメントを出したのに対し、わが岡山県の石井知事は「評価できない」との厳しいコメントを出した。政府・与党に対しても臆することのない頼もしい発言だ。
国の補助金は20兆円。そのうち、わずかに6分の1にも満たない金額をやるのにもこんなに苦労する始末である。
民主党はマニフェストの中で「18兆円の補助金廃止と、それに見合う税財源の地方への委譲」を掲げている。実に小泉公約の6倍の金額である。
私は、民主党のどの公約よりも、この公約が好きだ。これをやり遂げれば、日本は劇的に変わる。
これ以上の地方分権は小泉総理には期待できまい。
これからの私の政治人生は、「地域主権の実現」に捧げてゆきたい。 |
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2005年11月29日(火) 『個人の浄財に頼る選挙を』
民主党議員の不祥事が相次いでいる。政権交代を急ぐあまりの勇み足であろうか。
選挙には、どんなきれい事を言っても、それ相応のお金がいる。いくら理想を語っても、選挙で勝たなければ意味がない。理想を実現できない。そのためにはお金が必要となる。
違法の資金集めや利権につながる企業献金を受けないためには、個人の浄財に頼るほかない。個人からお金をもらうことは並大抵のことではない。お金をもらうことほど、気が引けるものはない。しかし、それをやりきらなければ政治はできない。今回の選挙を経験し、そのことを痛感している。
安易にお金をもらうのではなく、苦労して苦労してお金は集めなければならない。その努力をこれからしていきたい。 |
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2005年11月28日(月) 『岡山市議会11月定例会の開会』
本日、岡山市議会の11月定例会が開会した。
高谷新市長の提案理由説明を拝読した。
職員の新規採用3年間凍結など、全般的に行財政改革の断行を前面に出した提案である。
私も市長選挙の際の公約で、「行財政改革の断行」を掲げた。
しかし、その手法は職員数を減らす高谷市長の手法とは異なる。私の行財政改革の基本は、「税金の無駄遣いをやめること」である。
行政には、行政を経験した者にしかわからない細かな無駄がたくさんある。実は、ほとんどの職員はその無駄に気づいているのだが、職員一人一人の力ではどうにもならない構造的な問題がそこにはある。
皆、「おかしい。変えたい。なんとかしたい。」と思いながらも変えられないジレンマがある。個人の力ではどうしようもない、組織全体で変えてゆかないと変えられない構造的な無駄がたくさんある。こういう無駄こそ、本来、市長のトップダウンで解決しなければならない。
高谷市長にも、ぜひとも、この「税金の無駄遣いの構造改革」を断行してもらいたい。
市が提供すべきサービスは、今後、少子高齢化社会を迎えること、政令指定都市を目指すことからも、増えこそすれ減ることはない。
安易な職員数の削減で行財政改革を進めるのではなく、「無駄な事業をやめ、必要な事業へ回す」という発想の行財政改革を断行してほしい。 |
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2005年11月27日(日) 『拾う神あり』
選挙で負けて、借金もできて、悲惨だなあ・・・
そんな声も聞こえてきそうです。
しかし、「捨てる神あれば、拾う神あり」です。
今回の選挙を通じで、多くの新しい出会いがありました。市長選挙を闘わなかったら出会えなかったであろう応援団の方との出会いがありました。
そして、ありがたいことに、選挙が終わってからも、「話がしたい」「応援したい」とご連絡をいただく方も増えています。
岡山での活動の幅を広げることができる、そんな大きな転機となりました。
「選挙は勝ってなんぼ。負けては何もならない。」
確かに事実です。そう思います。しかし・・・、本当にそうでしょうか?
私の長い政治人生は始まったばかりです。
落選を経験し、大きくなった、強くなった政治家はたくさんいます。
これからが勝負です。この次が本当の勝負です。次は必ず勝ちます。 |
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2005年11月26日(土) 『市長選挙の敗因』
いろいろなことを言う人がいます。
今回の市長選挙は多くの人・団体に応援していただきました。普段、必ずしも良好な関係とはいえない人・団体同士が、「市民の手に政治を取り戻す」という一点で、大同団結してくれました。
したがって、お世辞にも一枚岩の選対が組めたわけではありません。人・団体間の連携が必ずしも十分でなかったことも敗因の一つでしょう。
政党や労働組合の推薦を求めなかったことも敗因の一つでしょう。
しかし、最大の敗因は「知名度不足」。これに尽きると思っています。
岡山に戻って9ヶ月、岡山市内ではほとんど活動していなかった私を知る人は、民主党支持者ですら、ほんの一握りでした。
「若すぎる。よそ者。官僚出身。」この弱点も、高井たかしを知らない人が言う言葉です。会ったことも、声を聞いたこともない「若いよそ者」に投票する人は、ほとんどいませんでした。(無党派層を取り込まなければならない私が、地元新聞社の出口調査では、無党派層の29%しか獲得できていません。)
これからは、人と会って、会って、会って、・・・高井たかしを知ってもらいます。私の政策、想い、人柄、経験・・・。知っていただければ、必ずわかっていただける自信があります。
「高井たかしを知ってもらうこと」このことにこれからの活動の全力を挙げてゆきます。 |
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2005年11月25日(金) 『民主党、総務省』
お世話になった民主党、総務省関係者へご挨拶に伺った。
民主党の国会議員本人でお会いできたのは、安住淳選対委員長。
参議院選挙候補者を辞退した私に、たいそうおかんむりかと思いきや、上機嫌で向かえていただいた。
「君がどのような道を進むにせよ、民主党はしっかり支えるよ。」
というありがたい言葉をいただいた。民主党を離党し、無所属での出馬の私に対し、前原代表まで応援に駆けつけていただいた。民主党の皆さんには心から感謝している。
総務省でも、先輩・同僚・後輩から、温かい言葉をかけていただいた。
「国政に戻って来いよ。」
東京の人だけにそういう声が多かった。霞ヶ関の中でも、「誰かが変えてほしい」そういう切実な願いを感じた。
特に、人事を担当する官房長、秘書課長から、温かい言葉をかけていただいたのが身にしみる。岡山県出身の事務次官とはお会いできなかったのは残念だったが、同じように温かい言葉をかけていただけたことと思う。
郵政省平成5年入省組の同期会を久々に開催してもらい、昔話に花を咲かせた。同期にも随分お世話になった。心から感謝している。
民営化後の郵政事業の将来像を必死になって模索する頼もしい同期の姿を久しぶりに見て、
「霞ヶ関も捨てたもんじゃないな」
と安心するとともに、
「俺も頑張らないと・・・」
と闘志を燃やす一日となった。 |
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2005年11月24日(木) 『起業』
上京し、市長選挙でお世話になった方々へご挨拶に伺った。
選挙中の個人演説会で応援演説していただいた、安延伸ウッドランド社長(元通産省電子政策課長)、中村伊知哉スタンフォード大学日本センター研究所長(元総務省官房総務課課長補佐)。そして総務省の同期で一ヶ月間私の選挙を手伝ってくれた菊池尚人スタンフォード大学日本センターフェロー。
3人は経済産業省の外郭団体「国際IT財団」のメンバーで(安延さんは副理事長、中村さんは専務理事)、同財団の理事長で、経済財政諮問会議議員の牛尾治朗ウシオ電機会長をご紹介いただいた。
これから岡山で政治活動を続けていくにあたって、無職では食べてゆけない。皆さんからは、「これまで培ったIT分野での経験を活かし、起業してはどうか」
とのアドバイスをいただいた。事業や経営は未知の世界であるが、一度しかない人生、いろいろなことにチャレンジしてゆきたい。その新たなチャレンジが、政治家高井を成長させるものと信じている。 |
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2005年11月23日(水) 『市長選挙出馬の決断』
「高井は自分の意思に反して、やむにやまれず市長選に出馬したのではないか。」
そんな声を耳にすることがあります。しかし、それは大きな間違いです。
今回の岡山市長選挙への出馬は、確かに短期間の決断でした。
市民団体からの要請や、他に民主党から出馬する方がいないという事情も一因ではありますが、最終的には「岡山市長こそ私が一番やりたい仕事だ」という自分の決断です。
総務省で9年(旧郵政省を含む)、岡山県庁で3年勤めた私が、12年間の行政経験で得た結論は、
「わが国再生の最大の特効薬は、霞ヶ関中心の中央集権体制を打破し、地域のことは地域で決める地域主権を実現することだ」
というものです。
この「地域主権」の実現は、明治維新に匹敵するわが国の大改革になるはずです。
「地域主権」の実現には、二つのアプローチがあります。一つは、国主導で行う道。そしてもう一つは、地域から実現する道です。
岡山市が全国のモデルとなり、地域主権の受け皿となり得ることを示すことにより、地域主権の実現を目指すのです。
どちらの道を目指すのか。
地方自治体の首長から国政を目指す、萩原誠司さん(前岡山市長)や岩国哲人さん(前出雲市長)のような方もいますが、北川正恭さん(前三重県知事)、松沢成文さん(神奈川県知事)、中田宏さん(横浜市長)のように、国会議員から地方自治体の首長を目指す人もいます。
私は後者の方々にシンパシーを感じます。
12年間、目の前で見続けてきた「行政の非効率・税金の無駄遣い」。どこをどう直せばよいのか、わかっているのに変えられないジレンマ。そうしたもどかしい気持ちを、首長になれば変えられるのです。具体的に、一つ一つ変えてゆくことができるのです。
「これほどやりがいのある仕事はない」そう思い、決断いたしました。 |
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2005年11月22日(火) 『ご挨拶まわり』
「高井はちっとも来ないじゃないか。」
最近よく言われるようになりました。
負けたその日から、今回お世話になった方には全て、自分でご挨拶に行こう。そう決めました。
しかし、なかなか思うように廻れていません。
選挙管理委員会への報告等の事務処理が予想以上に大変であること、次の進路を決めるための関係者の方との相談があること、等々、いいわけを挙げればキリがありません。
また、応援してくださった方の数の多さにも驚いています。
こんなにも自分の知らないところで沢山の人たちが応援してくれている。嬉しいと同時に信じられない気持ちです。
私と会ったことのない人まで、こんなに熱心に廻ってくれた。電話をかけてくれた。ハガキを書いてくれた。選挙のすごいところです。
私はこの方々に対して、本当に胸を張って「精一杯頑張りました。自分の全てを出し尽くしました。」と言えるのだろうか。自分に自問自答する毎日です。
何ヶ月かかっても、お世話になった方にご挨拶に伺います。そして、私の今後の進むべき道のご相談をして歩きます。 |
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2005年11月21日(月) 『岡山市長選挙の敗北』
負けを知った時はショックでした。
午後3時頃、「高井不利」の出口調査の結果を知り、午後6時過ぎには「敗戦確定」と知りました。その後は、「何時に敗北宣言をするか」、「敗戦の弁をどのように語るか」、などのむなしい打合せが続きました。
悔しさのあまり泣き崩れそうになりながらも、応援してくださった皆様に対して、最後まで毅然とした態度を保ち、御礼を述べなければならない、あの日はその一心で立ち続けていたように思います。
結果は、58,165票でした。
最初は「何でこんなに少ないの?」と思いました。
しかし、今では「よくとったなあ・・・」と思っています。
自分の選挙を初めてやってみて、本当の選挙の厳しさを知りました。いくら若くて勢いがあっても、保守が分裂し醜い争いをしていようとも、「高井たかし」を知らない人は投票してくれない。日ごろの地道な活動がいかに大切か、知名度を上げることがいかに大切か、思い知らされました。
知名度ゼロ、「地盤・看板・かばん」何も持たない私が、「若すぎる」「よそ者」「官僚出身」との批判を受けながら、そして民主党への逆風の中(翌週の宮城知事選、川崎市長選、神戸市長選、佐賀市長選の4つの首長選挙はいずれも保守系候補の圧勝でした)、5万人以上の方に名前を書いてもらった。これはすごいことだと思っています。
そしてこの票は、私の力ではない。応援してくれた皆さんの力です。
今度は、私の力でこの票に上乗せしなければならない。
私が地道な地域活動を続けることで獲得する票を増やさなければならない。そして、必ず勝つ。このことこそが、私を応援してくれた皆さんへの最大の恩返しだと信じて頑張ります。 |
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2005年11月20日(日) 『たたかい日記の再開』
長い間、たたかい日記を閉鎖してしまいました。
この間、多くの皆さんからお叱りを受けました。
「HPを立ち上げている以上、更新するのは義務だ。」
全くそのとおりです。「たたかい日記」を楽しみにしてくださっていた方々に対し、心からお詫びを申し上げます。
衆議院選挙投開票日の翌日、9月12日23時過ぎに岡山市長選挙への出馬を決意し、実質3週間の選挙戦の間、そして、10月9日に破れ、それから本日11月20日まで、2ヶ月間以上、更新をさぼってしまいました。
特に、選挙に負けた後は、どのようにこの日記を書き出してよいのか悩み、書き出す勇気がありませんでした。
しかし、この日記を読んでいただける方がいらっしゃる以上、頑張って日記を書き続けます。本日をもって、たたかい日記を再開いたします。HPの内容も、次なる活動に向けて改定してゆきます。
「次は何を目指すの?」
この質問に対しても、これからこの日記の中で、お話してゆきたいと思っています。
まずは、今日ようやく、重い筆を執りました。今日はこのくらいにしておきます。
「継続は力なり」。
子どもの頃から肝に銘じてきた言葉でした。
最近好きな言葉は、「すぐやる。即やる。早くやる。必ずやる。」です。
無精者の私にぴったりの言葉です。この言葉を肝に銘じて、これからの活動を頑張ります。 |
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