小田川決壊の現地視察 その④~流域治水、防災省

小田川決壊の現地視察 その④~流域治水、防災省

前滋賀県知事の嘉田由紀子さんが、今回の視察のために、「真備町史」を丹念に読み込み、レポートを書いてくれました。

嘉田さんは、2005年の新潟県三条市の水害で、寝たきりの人が多数亡くなった経験から、こういう災害を二度と起こさないために、2006年に滋賀県知事に当選し、滋賀県に流域治水条例を制定します。

流域治水条例は、「洪水は自然現象、水害は社会現象」「災害に上限はなく、治水に完全はない」という考えの下、防災・減災対策を詳細に定めており、土地利用規制や住宅建築規制(かさ上げの義務化)も含まれています。

嘉田レポートによれば、昭和54年に編纂された「真備町史」には、「水害と治水」として58ページにわたり水害と河川改修の歴史が記述されています。明治26年に死者100名を超える大洪水があり、大正8年に犬養毅首相の尽力により小田川の治水対策がはじまります。しかし、その後も大正15年、昭和9年、20年、26年、35年、44年、47年、51年と洪水は続き、昭和47年には新成羽ダムの放流との関係で裁判にまでなります。

真備町は昭和46年以降ベットタウンとして住宅開発が進み、10年間で1万人以上人口が増えます。それに併せて、かつて真備町内に5つあった水害予防組合が解散してしまいます。これ以降、水防を担うのは地域住民ではなく、町や県、国の役割となり、「遠い水」となってしまいます。

嘉田レポートは以下の提言で締めくくられます。

「国の防災対策は、ハード事業は国土交通省、避難体制などのソフト事業は内閣府が担う。国土交通省は直系の出先機関を持ち予算もあるが、内閣府には人も金もなく、避難体制の整備は県や市町村に頼らざるを得ない。首都直下地震、東南海・南海地震のリスクを考えると、防災・減災対策は国家存亡に関わる重大問題。国土交通省、内閣府、復興庁の関係部署を統合し、ハード、ソフト両面の横串を通す組織である『防災省』を創設すべき。」

視察の最後は、メンバー全員で「防災省を創るぞ!」と気勢を上げました。

被災を経験した国会議員として、やるべきことが満載ですが、今ほどやる気に満ち溢れたことはありません。防災省の創設はライフワークとして取り組んでまいります。