決壊現場付近の住民の方からお話を伺いました。

昨日の小田川決壊現場の視察において、国土交通省や岡山県の説明にあいまいな点があったので、自分で確かめるために、再び真備町に入り、決壊現場付近の住民の方からお話を伺いました。

いろいろお話を伺うと、やはり国や県の説明や、マスコミ報道にも誤りがあることがわかってきました。

昨日の説明では、「末政川の決壊は7日明け方」とのことでしたが、末政川決壊現場のすぐ横にお住いの方の証言によれば、

「6日23時頃はそうでもなかったが、7日0時に見に行くと、末政川上流から流れる水と、小田川から逆流する水とが激しくぶつかり合い、ほどなく堤防が決壊し、家が流された。」

「7日0時から水位がどんどん上がり、あっという間に2階まで達した。1時半に避難指示のメールが来た時にはもう逃げられる状況ではなかった。それから何度110番、119番しても救助は来ず、7日18時にようやく自衛隊に助けられた。」

とのことでした。

末政川が決壊した後に、小田川、高馬川が決壊し、西から東へ末政川を横切る形で濁流が流れ出し、真備町東側一帯(300名が救助を待った真備記念病院周辺)が冠水したようです。

こうした経過は、昨日の国土交通省・岡山県の説明とは異なるものであり、両者が事務局を担う「小田川堤防調査委員会」では、丁寧に住民の証言を集めて、正確に決壊の原因を究明し、今後の復旧と防災・減災対策に活かしていただきたいと思います。